駅の鉄道文字、手書きでなくても「味」はある 安全と視認性、フォントを決める本当の理由

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中西さんは、そのような鉄道の表記を固めていく過程に深くかかわってきた須田寛氏に取材している。

須田氏は、1954(昭和29)年に国鉄に入社。旅客営業部門を軸に要職を務め、国鉄民営化の後、JR東海代表取締役社長に就任し、東海道新幹線「のぞみ」運行など、新会社の基礎を固めた人物だ。

JR東海初代社長を務めた須田寛氏。鉄道文字への造詣が深い(撮影:尾形文繁)

「須田さんは、鉄道の表記に強い関心を持ち続けています。戦後の混乱期、車体にチョークで行き先を書いていたりしたなかで、広島鉄道局(現在の三石から西の山陽線)がすべての行先標を白い縁取りに楷書体とローマ字で書かれたものに新調すると、客車全体がきれいに見え、それまで窓から出入りしていたような乗客の行動まで変化した。少年時代にそれを見て、掲示の持つ力の大きさを感じたといいます」

須田氏はすみ丸ゴシックにも深くかかわっている。1960(昭和35)年当時、鉄道標記でも電気掲示器を扱う業者が全国で主に3社あったが、須田氏は各社の字形の特徴を即座にボールペンで書いて示すほど、鉄道文字を深く理解していたという。「3社のなかでも東京の新陽社のすみ丸ゴシックは、『線のもつ勢いを活かしながらメリハリがある』と評価していた。

「規程のある書体でも、それぞれの職人が工夫して生み出し、それを正しく評価する人がいることで、さらに高みを目指していくというところに、鉄道文字のもつ力を感じました」

鉄道文字にも言えた「書は人なり」

中西さんが本格的に鉄道文字に目覚めたのは、2008(平成20)年のこと。もともと書道が好きだったこともあり、たまたま目にとまった、東京メトロの出入り口の上にかかった明朝体の「国会議事堂前駅」という手書き風の文字が気になったのが始まりだった。その後1~3年のうちに気になる看板が次々目につくようになると、まとまりとしてとらえて形にできるのではないかと、考え始めたのだ。

そして、月刊『鉄道ジャーナル』に「されど鉄道文字」の連載を始めたのが2014年8月号だ。「されど鉄道文字PLUS」とタイトルを変えていまに至る。4年余りの連載を続けていると、当初は目の前にある「文字」の面白さに惹かれていたが、しだいにそれを実際に筆を持って書いた人、書体を考案した人、駅のさまざまなサインをデザインする人など、鉄道文字にかかわる人物への関心が深まっていったという。

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