「学芸大学」「都立大学」駅名変えなかった理由 実態とかけ離れても「地名」として地域に定着
京急電鉄は9月21日から10月10日まで、「わがまち駅名募集!」と題して沿線の小中学生から広く駅名変更案を募った。
対象となった駅は、京急線72駅のうち、駅名変更を予定していないという26駅以外の全駅。連続立体交差化によって駅と駅前広場が変わる「産業道路駅」の駅名を変更するとともに「一層皆様に愛され、沿線の活性化につながると思われるものや、読みかた等が難しくお客さまにご不便をおかけしている駅」など数駅について変更を検討する――というのが京急の説明だ。
京急の駅名募集のニュースは世間の注目を集めたが、それは駅や駅名がいかに地域に根ざした存在であるかの表れともいえるだろう。
大学移転後も変わらないあの駅名
すでに実態には合っていないものの、駅名はずっと変わらないままの駅がある。東急東横線の「学芸大学駅」と「都立大学駅」は、どちらも大学名を名乗っているものの、現在はその名の大学が駅近くに存在しない。
学芸大学駅の近くには東京学芸大学附属高校があるものの、大学そのものは1964年に小金井市に移転している。都立大学駅も、大学は1992年に八王子市に移転し、さらに名前も2005年に「首都大学東京」に変わってしまった。遠く離れているため当然だが、都立大学駅は「首都大学東京」駅にはならなかった。
学芸大学駅はすでに半世紀以上前、都立大学駅も20年以上前に駅名が実態に見合わなくなったわけだが、何もせずそのまま残ってきたわけではない。過去にこれらの駅名の変更が検討されたことがある。
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