憲法9条「戦争放棄条項」は、誰が作ったのか マッカーサー説と幣原喜重郎説を検証する

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「斯る憲法草案を受諾することは極めて重大の責任であり、恐らく子々孫々に至る迄の責任である。この案を発表すれば一部の者は喝采するであろうが、又一部の者は沈黙を守るであらうけれども心中深く吾々の態度に対して激憤するに違ひない。然し今日の場合、大局の上からこの外に行くべき途はない」(服部『増補版・幣原喜重郎』284ページ)

「この外に行くべき途はない」という幣原の言葉は、日清戦争後に三国干渉を受け入れた陸奥宗光外相の「他策ナカシリムヲ信ゼムト欲ス」という言葉とも重なる。振り返れば、日本国憲法の制定とは、あたかも外交交渉をして、外交的合意を得るようなものであった。それについて吉田茂は回顧録で次のように記している。

「もっとも前述したように、改正草案が出来上るまでの過程をみると、わが方にとっては、実際上、外国との条約締結の交渉と相似たものがあった。というよりむしろ、条約交渉の場合よりも一層〝渉外的〟ですらあったともいえよう。ところで、この交渉における双方の立場であるが、一言でいうならば、日本政府の方は、言わば消極的であり、漸進主義であったのに対し、総司令部の方は、積極的であり、抜本的急進的であったわけだ。」(吉田茂『回想十年・2』<中公文庫、1998年>31ページ)

日本国憲法は、当時の日本人が選び取った

このように、日本国憲法とはGHQによって起草され、それを当時の日本人が苦渋のうちに、しかしながら「この外に行くべき途はない」という決意のもとに、選び取ったものであった。そして、その決断により、戦後の日本はかつてないほどの平和と安定、繁栄を手にすることになったのである。

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だが、その日本国憲法も制定から70年以上が経過した。その間に日本は独立を回復し、経済大国となり、また国際環境も大きく変わっている。はたして、今の憲法のままで、これまでと同様の平和と安定、繁栄が得られるのであろうか。

もし安倍政権が改憲案を提出し、それが国民投票にかけられることになれば、国民一人ひとりが改憲の是非について真剣に考えなければならない。

その時、「護憲」を選ぶにせよ「改憲」を選ぶにせよ、日本の将来のために最善の選択ができるよう、イデオロギーに縛られることなく、戦後史に対する認識を深め、また国際情勢に対する感覚を磨いておいて欲しい。というのも、われわれの未来は、過去の延長線上にしかありえないからだ。

細谷 雄一 慶応義塾大学 法学部教授

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ほそや ゆういち / Yuichi Hosoya

1971年、千葉県生まれ。立教大学法学部卒業。英国バーミンガム大学大学院国際関係学修士号取得。慶應義塾大学大学院法学研究科政治学専攻博士課程修了。博士(法学)。北海道大学専任講師などを経て、現職。主な著書に、『戦後国際秩序とイギリス外交』(サントリー学芸賞)、『倫理的な戦争』(読売・吉野作造賞)、『外交』、『国際秩序』、『安保論争』、『迷走するイギリス』、『戦後史の解放I 歴史認識とは何か』など。(プロフィール写真:新潮社)

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