名列車「雪月花」を生んだ男たちの熱いドラマ 理想と現実を両立させるための「極限の戦い」
設計が終わって製作の段になっても、現場では試行錯誤が続いていた。飲食物を入れるワインセラーのサイズが合わず、急遽別のものを手配したこともある。あるいは、1号車にある、奇妙なオブジェと誤解されることもある手すりの当初強度が弱すぎ、改良を行う必要が生じたのだが、それが完成するのは開業試運転の直前であった。
ただ、現場はいろいろな思いを詰め込むので、作業は直前になるまで行うことになる、というのが一般的なものらしい。雪月花だけが珍しいものではないようである。とはいえ、担当している人間は、高い完成度と実際の締め切りとの調整に相当やきもきしていたものだ。
今日も越後の山野を快走している雪月花
デザイナーの川西氏は、すべての試運転に乗車して細かなチェックをしていたし、実際自分の手で施工していた。
バーカウンターの壁面にある、桜の花びらを象った金属片が流れていく文様は、燕市の業者が苦労して施工したピンクゴールドのメッキがなされている。それを、川西氏の事務所に勤務している、イーストロンドン大学を首席で卒業した姫野智宏さんが、計算された図面どおりに一枚一枚、とても丁寧に貼り付けていった。毎日、夜遅くまで仕事をされていた。頭が下がる思いだった。
また、知事と沿線三市の市長が乗車する試乗会を運行開始前に実施したのだが、その前日になるまでカウンター内のラックができていなかった。みな、てんてこ舞いの忙しさで、私と車掌、アテンダントの3人で準備をすることになった。
車庫に入っていた雪月花に組立機材を運んだときには、車内は真っ暗であった。手元も暗く作業が困難だった。車内灯を点けようにも、たまたま運転センターに車両を取り扱える人間がいなかった。やむなく、すでに帰宅していた齋藤徹所長に電話をかけて人の手配を頼んだところ、なんと自ら能生にある自宅から車を飛ばしてきてくれた。
車両に入ってきて開口一番「あんたがた、どんな段取りで仕事しとんのんや!」とキツい一発をいただいたが、そのあと続けて「俺が電気点けてやる」と言って、自ら雪月花のエンジンをかけて車内灯を点けてくれた。ラックは1時間ほどで付け終わった。その間、齋藤所長は、せずともいい執務をしていた。思わず涙が出そうだった。
その後、雪月花は国内外でいくつもの賞を受賞した。優秀なデザインについての評価も多いが、地域の魅力をトータルで発信する取り組みが評価されたものもある。また、集客についてもインバウンドの取り組みなどが実施されている。認知度が高まるにつれ、乗車率も向上している。
銀朱色の車両は、地域の期待を背負いながら、今日も越後の山野を快走している。
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