徳島は「阿波おどり」で揉めてさらに衰退する

地方を滅ぼす「本当の敵」は常に「外」にいる

実質的に言えば、藍染は植物から作られる加工品であり、地域経済に落とされるお金は極めて大きく、江戸時代には「吉野川が育てた最大の特産物」と称されました。実際、阿波藩の財政基盤となり、「阿波25万石、藍50万石」ともいわれるほどの経済力を誇っていました。

その勢いは、明治時代の中ほどまで続いたのです。実は、1873(明治6)年から、1889(明治22)年の市政が敷かれるまでは徳島市は、全国トップ10の人口規模を擁する大都市でした(5万~6万人前後で推移)。当時の徳島市は、のちに急速に発展していく横浜や神戸などとさほど変わらない繁栄を謳歌していたのです。

全国の市場を相手に形成された藍産業などによる経済力は、地域内経済にも強い影響を与えます。

たとえば取引業者が徳島を訪れた際に、藍商が接待などを積極的に行うことで飲食業界や花柳界が栄え、発展していきます。この折に阿波おどりも一般大衆の踊りというだけでなく、華やかさをグンと高めるようになったというのが定説です。地域産業によって、阿波おどりは全国からも注目されるレベルの華やかさ、藍商などの経済力で全国各地の踊りの流派を呼び込むなどして、先進的な形式へと進化していったのです。

しかしながら、武士の世の中が終わり、工業的なインディゴ(鮮やかな藍色の染料)が流通し始める明治時代の後半からは藍産業は衰退していきます。残念ながら、戦後は主たる地域産業も大きくは発展することができていません。さらに1990年代には明石海峡大橋で陸続きとなった神戸・関西エリアへ消費が流出していくことなどによってさらに衰退することになり、その結果、現在の徳島市は全国88位の人口規模の市となっています。

「内輪もめ」している暇はない、敵はつねに「外」にいる

今回の阿波おどりの大混乱については、それぞれの組織・個人に言い分はあるはずです。しかし、内輪で互いにもめればもめるほど、地域としての力は低下していきます。敵は地元ではなく、外にいます。徳島市の状況は江戸・明治中期までを頂点にして、その後産業は細り、衰退の流れを止められていません。

2018年は徳島と関西を接続することになった明石海峡大橋が開通して、20年の節目の年に当たります。もともと、徳島経済は関西経済とも海によって一定の隔たりがあったものが、橋の開通によって神戸や大阪の商業とつながりが深くなり、そして物流が改善したことによって徳島内にさまざまな「地元外資本」による大型モールが開業していきました。競争のゆるい内需経済に慣れていた徳島市中心部商業は壊滅的な打撃を受け、地域として輸出する産業も細る中、内需経済にも「決定打」となる変化となりました。

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