性暴力「後遺症」に悩む30代女性を救った告白 「家族との対話」が次の一歩につながった
大学入学後も音楽を続けた。弾き語りのライブ。チケットは手売り。路上で歌うこともあった。
「ライブは表現が許される場所です。私は普段の会話だと聞き役に回ってしまうタイプで、自分のことを話すことができない。でもライブだと、会話にしないようなことを表現できる。ライブって不思議で、初対面の人にでも思いっきり深いものを伝えられるんです」
大学では友人たちから、よく「彩は何でも自分でやって、すごくしっかりしてるよね」と言われた。教科書も自分でアルバイトをして買った。昔気質の両親のしつけは厳しく、几帳面な姿が「しっかりしてる」ように見えたのかもしれない。
大学で心理学を専攻したのは、高校のときの友人の自殺未遂が背景にある。小学校からの同級生だった女の子。家族から虐待を受けていた彼女は、以前から「死にたい」と言っていた。その気持ちを理解できた。「死んじゃダメ」とは、言えなかった。
「自殺未遂をして、その子は車椅子の生活になりました。進学校を受験するぐらい頭が良かったのに、家庭環境が悪くて人生を変えられてしまった。自分たちはなんで生きてるのかなって、当時からすごく考えました」
居酒屋の接客中に突然よみがえった過去の記憶
意欲を持って入学した大学なのに、2年目で急に通えなくなった。きっかけは居酒屋でのアルバイト。「生しぼりグレープフルーツサワー」を客席に運んだとき、酔っぱらった男性客がふざけて言った。
「ねえ、おっぱいも絞ってよ」
突然、過去の記憶を鮮明に思い出した。
まだ3歳か4歳の自分が、お兄ちゃんの後ろを歩いている。家族でおばあちゃんの家に遊びに行って、お兄ちゃんと2人で近所の公園へ行ったときのことだ。
壁にボールを投げて遊んでいるお兄ちゃん。眺めていたらおじさんが近づいてくる。急に抱えあげられた。どこに連れて行かれたのかはわからない。そして、露出した下半身を強く何度も体になすりつけられた。子どもの自分にとって、大人の男性は巨人のようだった。
その記憶がよみがえってから、教室に入れなくなった。電車にも乗れない。食事が喉を通らず、体重はひどく落ちた。どうにもならず、訪れたのがカウンセラーの元。通っていた大学にはカウンセリングルームがあり、臨床心理士が見てくれた。
「カウンセラーの女性はすごくいい人で、自分の中に初めて母親像ができた気がします。どんなことにも耳を傾けて聞いてくれて、じっと一緒にいてくれて、まっすぐ自分を見てくれる。そういう母親像を、自分の中に作ることができた」
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