教養がない人々が語る「常識を疑え論」のワナ 「イノベーションごっこ」に陥るエリートたち

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イノベーションというのは、常に「これまで当たり前だったことが当たり前でなくなる」という側面を含んでいます。これまで当たり前だったこと、つまり常識が疑われることで初めてイノベーションは生み出されます。

一方で、すべての「当たり前」を疑っていたら日常生活は成り立ちません。なぜ信号の「ススメ」は青で「トマレ」は赤なのか、なぜ時計は右回りなのか、などといちいち考えていたら日常生活は破綻してしまうでしょう。ここに、よく言われる「常識を疑え」というメッセージの浅はかさがあります。

イノベーションに関する論考では、よく「常識を捨てろ」とか「常識を疑え」といった安易な指摘がなされますが、そのような指摘には「なぜ世の中に常識というものが生まれ、それが根強く動かし難いものになっているのか」という論点についての洞察がまったく欠けています。「常識を疑う」という行為には実はとてもコストがかかるわけです。一方で、イノベーションを駆動するには「常識への疑問」がどうしても必要になり、ここにパラドクスが生まれます。

結論から言えば、このパラドクスを解く鍵は1つしかありません。重要なのは、よく言われるような「常識を疑う」という態度を身につけるということではなく、「見送っていい常識」と「疑うべき常識」を見極める選球眼を持つということです。そしてこの選球眼を与えてくれるのが、空間軸・時間軸での知識の広がり=教養だということです。

自分の持っている知識と目の前の現実を比べてみて、普遍性がより低い常識、つまり「いま、ここだけで通用している常識」を浮き上がらせる。スティーブ・ジョブズは、カリグラフィーの美しさを知っていたからこそ「なぜ、コンピューターフォントはこんなにも醜いのか?」という問いを持つことができたわけですし、エルネスト・ゲバラはプラトンが示す理想国家を知っていたからこそ「なぜ世界の状況はこんなにも悲惨なのか」という問いを持つことができました。

目の前の世界を、「そういうものだ」と受け止めてあきらめるのではなく、比較相対化してみる。そうすることで浮かび上がってくる「普遍性のなさ」にこそ疑うべき常識があり、教養はそれを映し出すレンズとして働いてくれるということです。

なぜ、機長のほうが副操縦士より事故が多いのか?

この「比較相対化」のひとつとして、オランダの社会心理学者、ヘールト・ホフステードが紹介した「権力格差」というキーコンセプトを例にあげてみましょう。

皆さんもよくご存じのとおり、通常、旅客機では機長と副操縦士が職務を分担してフライトします。副操縦士から機長に昇格するためには通常でも10年程度の時間がかかり、したがって言うまでもなく、経験・技術・判断能力といった面において、機長は副操縦士より格段に優れていると考えられます。

しかし、過去の航空機事故の統計を調べると、副操縦士が操縦桿を握っている時よりも、機長が操縦桿を握っている時のほうが、はるかに墜落事故が起こりやすいことがわかっています。これは一体どういうことなのでしょうか?

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