野球投手を悩ませ続ける肩・ひじのケガ問題 痛みや故障なく投げることはできるのか?

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「ピッチャーには、肩やひじの張りはつきものです。多少の張りを感じながら、みんな投げています。僕も、『投げろ』と言われたところで投げるのがピッチャーだと思います。

ただ、東京ドームでの第1次リーグのときには、肩が悲鳴をあげていることに気づいていました。韓国戦は、肩から上に手が上がらないような状態で……痛みを麻痺させても、一球ごとに激痛が走り、まともに腕を振れませんでした。当然、満足なボールは投げられません」

石井は肩を痛めた。手術を行っても、二度と150キロのストレートは投げられなかった。

高校時代から「ルーズショルダー」に悩まされた斉藤和巳は、自身の肩に過度な期待を持つことはなかった。つねにケアにつとめ、肩の筋肉を鍛えることに時間をかけた。だが、5年間で70勝を挙げる神がかり的なピッチングを続けたあと、ついに壊れた。

斉藤はこう語る。

「人よりも肩の関節が柔らかいことは武器でもあります。肩をしなやかに使うことができれば、ほかのピッチャーとは違うボールを投げることができますから。でも、故障しやすいという側面もありました。ルーズショルダーのピッチャーは、壊さないためのケアも肩の筋肉を鍛えることも必要です。しかし、どれだけ注意しても故障の確率が高いのは仕方がないのかもしれません。

肩の筋肉の強度を高めるトレーニングをして、つねに関節のバランスを保つようにしましたが、それでもいつの間にか肩に負担がかかりました。ボールは肩だけで投げるわけではありません。下半身の力を肩から指先に伝えて速いボールを投げるのですが、最終的に痛みは弱い箇所に出てきます。僕の場合は、それが肩だったということです。肩に負担のかからない投げ方もあるのでしょうが、僕にはできませんでした」

2度も沢村賞を獲得した「負けないエース」は復活を目指して6年間リハビリを行い、最後までマウンドに上がることなくユニフォームを脱いだ。

ひじよりも肩の手術後のほうが、復活までの道が険しいというのは野球界では常識になっている。メジャーデビュー直前で肩を脱臼した森も、石井も斉藤も、以前のような剛速球を投げることはできなかった。

松坂大輔が新しい可能性を示すことはできるのか

しかし、長く肩の痛みに悩まされ、ホークスに在籍した3年間で未勝利に終わった松坂大輔(中日ドラゴンズ)は150キロ近いストレートを取り戻し、すでに2勝をマークしている。だが、昔の松坂に戻れるかというと、それは難しいかもしれない。

斉藤はこう言う。

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「僕は3度も手術しました。その都度、状態は違うのですが、絶対に違和感は残ります。『もう前と同じじゃない』と思ったほうがいい。元に戻すのではなく、新しくつくると考えないと、壁を乗り越えることは難しい。

故障の程度はどうであれ、肩にメスを入れたら、過去の100の自分には戻れない。野球を続けていく限り、その現実に向き合わなければなりません」

これまで幾多の困難を乗り越えてきた松坂は、肩を痛めたピッチャーの新しい可能性を見出すことができるのだろうか。それとも……。シーズンが終わるころには答えがきっと出るはずだ。

(文中敬称略)

元永 知宏 スポーツライター

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もとなが ともひろ / Tomohiro Motonaga

1968年、愛媛県生まれ。立教大学野球部4年時に、23年ぶりの東京六大学リーグ優勝を経験。大学卒業後、ぴあ、KADOKAWAなど出版社勤務を経て、フリーランスに。直近の著書は『荒木大輔のいた1980年の甲子園』(集英社)、同8月に『補欠の力 広陵OBはなぜ卒業後に成長するのか?』(ぴあ)。19年11月に『近鉄魂とはなんだったのか? 最後の選手会長・礒部公一と探る』(集英社)。2018年から愛媛新聞社が発行する愛媛のスポーツマガジン『E-dge』(エッジ)の創刊編集長。

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