徳川綱吉に好印象がない人に教えたい新解釈 教科書に書かれた歴史も常に見直されている
江戸幕府5代将軍の徳川綱吉といえば、「犬公方」。生類憐みの令を出して犬をはじめ動物の愛護を人々に強要したことで知られる。愛護だけでなく、それに違反した者には厳しく罰したことから、江戸の庶民は陰で「犬公方」と軽んじたと伝えられる(さすがに「犬公方」とは公には言えなかったはず)。このため中高年以上の世代には、綱吉=暗愚の将軍というイメージが染みついている。
戦国の野蛮な価値観・風習を否定したという側面に言及
実際に現在の50代が高校で日本史を学習した1980年代の教科書には、「綱吉の生活はぜいたくで、さらに大寺院を造営し、幕府の財政難に拍車をかけた」「生類憐みの令を出して犬や鳥獣の保護を命じ、その励行を厳しくしたことは、庶民の不信をいっそう募らせることになった」と記されている。綱吉の治世は、決してよくなかったことが強調されている。
ところが現在の教科書では、だいぶ違う。「綱吉は仏教にも帰依し、生類憐みの令を出して、殺生を禁じた。これにより庶民は迷惑をこうむったが、とくに犬を大切に扱ったことから、野犬が横行する殺伐とした状態は消えた」「神道の影響から、死や血を忌み嫌う風習を作り出し、戦国時代以来の相手を殺傷する価値観は否定された」と記述。むしろ、戦国の野蛮な価値観・風習を否定した、開明的な側面に言及しているのだ。
『週刊東洋経済』4月23日発売号は、「目からウロコの日本史再入門」を特集。歴史の人物、あるいは歴史的な出来事の解釈や位置づけが変わることは珍しくない。新史料の発見や証言、あるいは発掘調査によって、人物や時代の解釈は見直されていく。綱吉についても、武断政治から文治政治に転換し、「徳川の平和」をもたらした将軍として位置づけられるようになってきた。
今年3月まで文部科学省で歴史担当の教科書調査官をしていた高橋秀樹・国学院大学文学部准教授は、「数十年前と現在とでは、日本史教科書の記述内容や視点はたくさんの違いがある。史料の読み方も以前と比べ精緻になっているので、学説は変化している。その学説を反映して、日本史教科書も書き換えられていく」と話す。そう、歴史は進化していくのだ。
歴史教科書の変化といえば、「聖徳太子」の記述の変化は、歴史系のテレビ番組などでもよく取り上げられるようになった。「聖徳太子はいなかった!」というテイストだ。
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