「鉄道世界一」は日本人の思い込みにすぎない イメージと現実のキャップが弊害をもたらす
ⒷはⓎ「鉄道万能主義」が通用した時代の名残だ。2016年12月29日付拙稿「東京で道路よりも鉄道が発達した3つの理由」でも触れたように、日本では、馬車などの車両交通が発達しないまま、明治時代に入って急に鉄道の時代を迎えたので、鉄道こそが近代交通であると考えられ、鉄道偏重の交通政策がとられた。また、道路整備の重要性は1950年代まで十分に認識されず、自動車の発達が欧米よりも大幅に遅れた。それゆえ、1922年に鉄道敷設法が改正され、人口密度が低い地方にも鉄道網を広げることが決まると、鉄道が地方のあらゆる社会問題を解決してくれる救世主と考えられ、「鉄道万能主義」が長らく語られることになった。道路網が貧弱だった時代に鉄道が延びると、その沿線地域の交通事情が大きく改善され、暮らしが急に便利になったからだ。
ところが今は、ⒶⒷの価値観は通用しない。
まずⒶの「世界一」という価値観は、今となっては明確な根拠がない。たとえば「新幹線は世界一」という人がいるが、現在は新幹線よりも営業速度が速い鉄道が海外に存在する。安全性が高いと言われるが、多額の投資をして線路を立体交差化し、事故が発生しやすい踏切をなくし、外部から人などが入りにくい構造にすれば、それは当たり前のことだ。そもそも新幹線という輸送システムは、「ハイテク」のイメージがあるが、実際は海外で開発された「ローテク」を組み合わせて完成度を高めたものだ。在来線とは独立した鉄道のハイウェイを新設した点はユニークであるが、技術的な先進性はほとんどない。
輸送力維持の陰に労働者の負担
また、日本の鉄道には、世界共通の物差しで「世界一」だと定量的に評価できるものが、年間利用者数が極端に多いことを除けばほとんどない。もちろん、時間の正確さが際立っていることはたしかであるが、鉄道業界では「定時運行」の定義が統一されていないため、航空業界の定時運行率のような世界共通の物差しで評価できない。また、時間の正確さの背景には、線路などの施設が貧弱で、列車を高密度、かつできるだけ時間通りに走らせないと十分かつ安定した輸送力が得られないという現実があるし、そのために鉄道で働く労働者の負担が大きくなっているというネガティブな面があるので、世界に誇れるとは言いがたい。そもそも日本は鉄道技術をイギリスなどから学んだ国なので、先駆者を差し置いて自ら「世界一」と主張するのは違和感がある。
Ⓑの「暮らしが豊かになる」は、今となっては実感しにくくなった。近年は鉄道の延伸や新規開業がほとんどなく、鉄道が地域を変える機会も減ったからだ。そのいっぽうで、自動車や航空という他交通の発達や、人口減少によって需要が低下した鉄道をいかに維持するかが、さまざまな地域で課題になっている。
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