「鉄道世界一」は日本人の思い込みにすぎない イメージと現実のキャップが弊害をもたらす
いっぽう、先述した「鉄道万能主義」は半世紀前から批判されている。かつて政府に対して影響力を持つ私設シンクタンクだった産業計画会議は、1968年に「国鉄は日本輸送公社に脱皮せよ」という勧告をしており、そのなかで「鉄道万能」という考え方を繰り返し批判し、国民の的外れな期待が国鉄を苦しめていると述べている。
このようにⒶⒷは、鉄道の現状に合致しない価値観になっているのに、今なお根強く残り、多くの人が信じている。先述した鉄道のイメージと現実のギャップがあるのは、このためであろう。また「日本人は、誰もが多かれ少なかれ鉄道が好き」という仮説が正しいとするならば、その「好き」という感情ゆえに、鉄道の現実を客観的かつ冷静に把握することが難しくなっていると考えられる。
こうした状況は、人々が鉄道に過剰な期待をする要因になり、鉄道そのものを苦しめる要因にもなり得る。鉄道の維持や海外展開の妨げになり得るし、日本の鉄道が今後も発展し続ける上でも障壁となるだろう。
鉄道の維持は、近年難しくなっている。日本では1990年代から生産年齢人口(15〜64歳)が減少し続けており、鉄道を利用する人だけでなく、それを支える労働者も減っているからだ。
鉄道の海外展開、つまり日本の鉄道システムを海外に売り込むことは、アベノミクスの成長戦略の1つにもなっているが、実際は海外で苦戦している。それは、日本の鉄道がきわめて特殊であり、そこで磨き上げられた技術やノウハウを求める国が多いとは言えないからだ。
日本の鉄道はすでに苦境に陥っている
こうしたことが正しく理解されていないと、日本の鉄道はいずれ苦境に陥る。いや、もう陥っている。ダイヤ改正のたびに列車の減車・減便の話題を聞く機会が増え、北海道・四国・九州などで鉄道の維持が難しくなった現状を見れば、日本の鉄道はすでに「冬」の時代に入っていると言える。海外に活路を見いだすにしても、そこには規格のちがいという壁が立ちはだかっている。
筆者は、以上のことを拙著『日本の鉄道は世界で戦えるか−国際比較で見えてくる理想と現実』にまとめた。本書では、先述した認識のギャップの要因を検証するだけでなく、主要5カ国(日英仏独米)の都市鉄道や高速鉄道などをくらべることで、日本の鉄道の特殊性や立ち位置を明らかにした。その上で日本の鉄道ならではの「強み」を分析し、それが海外の鉄道の発展に貢献できるのではないかと記した。
ここまで述べたことは、日本における一般論とは異なる部分があるので、多くの人に受け入れていただくのは難しいかもしれない。ただ、先述した認識のギャップが鉄道を苦しめている現実を知っていただくことが、今後の鉄道のあり方について冷静に議論するきっかけになればと願う。
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