野中広務氏が映した自民党の「強さ」と「弱さ」

「反共」「成長」で台頭、ハト派リベラル貫く

ただ、野中氏はこの政権の中で自治相など要職を務め、加藤氏との親交を深める中で、加藤氏流のハト派リベラル路線を身につけていった。戦争体験に基づく平和への思いや地方政治家として学んだ弱者への配慮といった個人的経験が、加藤氏との交流で「理論化」されていった。

1998年、野中氏は小渕恵三内閣の官房長官に就任。沖縄問題などに尽力する。ただ、自民党は参院で過半数を持っておらず、政権は不安定だった。そこで野中氏は、宿敵の小沢氏率いる自由党との連立を実現。その後、公明党も加えた自民・自由・公明連立政権となる。野中氏は政権を安定させることで、消費税率の引き上げや社会保障の拡充などを狙っていたが、小渕氏が病気で倒れたことで、その構想が実現することはなかった。

2000年秋、加藤紘一氏が森喜朗首相を倒そうとした「加藤の乱」で、自民党幹事長だった野中氏は盟友の加藤氏と対立。加藤氏の支持グループを個別に揺さぶり、乱を鎮圧した。小選挙区制の下で、自民党の執行部は公認権や政治資金の配分など強大な権限を持っており、野中氏はその権限をフルに活用した。もともと小選挙区制には批判的だった野中氏だが、この時は、小選挙区制によって助けられたという皮肉なめぐり合わせだった。

小泉政権を批判、失意のうちに引退

2001年に発足した小泉純一郎政権で、野中氏は非主流の立場に置かれた。それでも、小泉氏が米国のイラク戦争に支持を表明した際には強く批判するなど、存在感を示した。野中氏は2003年、失意のうちに政界を引退。一方、小泉氏は小選挙区制下の党執行部の強みを最大限利用して、郵政民営化を掲げた衆院解散・総選挙で反対派を一掃。反主流派は動きを封じられた。

自民党は2009年に民主党に敗れて下野するが、2012年には政権に復帰。安倍晋三首相の「一強政治」が続いている。野中氏は2011年に自民党を離党、2016年に復党した。今の自民党には、野中氏のような存在感のある、捨て身の政治家の姿は見られない。

自民党も戦後日本も、反共と右肩上がりの経済の時代には、一本調子の強さで生き抜くことができた。野中氏が地方政治家から中央政治家の主流派に上りつめる時代でもあった。その後、冷戦と高度成長が幕を閉じて、自民党も混迷の時代に入る。野中氏も小沢氏と全面対決したり、ひれ伏したり、官房長官や幹事長として政権を仕切ったり、小泉氏との対決に敗れたりといった波乱の日々を過ごした。

晩年の野中氏の口癖は「日本は戦争だけはしてはいけない」「政治は弱い人のためにある」だった。そんな野中氏の思いを受け継ぐ政治家が少なくなっていることが、いまの自民党の「弱さ」のように見える。

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