会社員から鉄道小説家に転身、「成功の鍵」は? 最初は小説よりも企画書のような文体だった
もともと豊田は小学生の時から『電車で行こう!』の主人公・高橋雄太さながらの鉄道少年である。父親は撮り鉄、年子の兄は乗り鉄、そんな鉄道と旅に親しむ家に育った。新幹線好きが高じて、小学生4年生の時には親に内緒で新幹線の旅に出ている。当時、奈良に住んでいた豊田少年はどうしても新幹線に乗りたかった。しかし奈良県に新幹線は通っていない。こっそりポケットにお年玉をねじこみ、昼食を食べ終わった瞬間、「遊びに行ってきまーす!」と、最寄りの大和西大寺駅から近鉄特急に乗って京都駅に行き、そこから名古屋駅まで、お目当ての新幹線に乗った。近鉄名古屋駅からは大阪上本町行の大阪線近鉄特急で大和八木駅まで移動し、そこから橿原線で大和西大寺駅へ帰るという近畿地方大回りで戻ってきた。
夕方素知らぬ顔をして「ただいまー!」と家に帰ったはいいが、初めて新幹線に乗った記念にと、「無効印」を押してもらった切符をズボンのポケットに入れたままにし、それが洗濯時に発見され、両親から大目玉をくらってしまった。
その後はきちんと親に話すようになり休みごとに旅行資金が尽きるまで、時刻表片手にひとり鉄道の旅を実践。ユースホステルに泊まった時は当時の女子大生から「一緒に旅しよう」とお伴させてもらったり、定食屋さんで「小学生なのに偉いねぇ」と、ご馳走になったり、存分に鉄道の旅を楽しんだそうだ。
プロットを書くのは得意だったが…
そんな経験を基に小説を書いてみたいと石川に話したところ「確かに小学生って親と一緒の旅行じゃないと、なかなか日本全国の知らない場所に行けないものね! 子どもたちだけで旅をする冒険を描いた小説があったら楽しいかもしれない」と即座にふたりの間で骨子が決まった。
豊田はウキウキとプロットを書いた。自分が小学生の時、こんなふうに自由に電車に乗りたかった。電車好きの友だちとワイワイ旅行したかった。電車に詳しいことで女の子からモテたかった。そんな気持ちを盛り込んだ楽しいプロットだ。石川に見せると「楽しそう! すぐに原稿に起こしてみましょう」と言われた。しかし、この先が地獄だった。
石川は言う。「豊田先生は広告屋さんでしょう。だから編集者をワクワクさせるキャッチーなプロットを書くのが本当に上手なんです。でもね。出来上がってきた原稿を読んでみると……」と言葉を濁す。
「うーん。これ、小説じゃないです。と頭を抱えちゃったんですよね。石川さん」と豊田が笑いながら話をつなげる。
「そう。何というか、パワーポイントで書いた企画書みたいな小説なのよー!」と柔らかい笑顔で手厳しいことを言う石川に、豊田は文章力をとことん鍛えられた。
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