会社員から鉄道小説家に転身、「成功の鍵」は? 最初は小説よりも企画書のような文体だった
誰でも小説家になれるのだろうか。豊田は、長年培った経験の中から、「自分の売り」をつくるのも1つの手だと言う。豊田の売りはリアリティだ。プロットを組んだらすべての路線を実際に旅して歩く。
たとえば『電車で行こう!』なら子どもの旅だから、あえて昼間に限定して鉄道の取材に回り、その時間に何がどこから見えるのかも全部チェックして原稿に反映させる。サラリーマン時代にゲーム「電車でGO!」の宣伝をしていたとき、鉄道ファンたちのリアリティに対するこだわりに接し、その重要性を見抜いたのであろう。
ゲームメーカーの宣伝を経て、40代半ばから第二の小説家人生を邁進中の豊田巧。転職1年目で小説家デビュー。以後、6年間で70冊刊行という、端から見たら順風満帆な『LIFE SHIFT』に見えるかもしれない。
プロの助言は素直に従え
しかし、そこに至るまでは決して平坦な道ではなかった。ひとりで歩いて来られた道でもなかった。転機となった分かれ道には何人もプロに教えを乞うた。だから、今日の豊田がある。そんな豊田は、今でもたくさんの決まりごとを自分に課している。
わからないことは必ず人に聞く。プロの言うことは素直に従う。こだわりを捨てる。どうしても自分のこだわりが捨てられない部分での勝負こそ慎重に。50年生きてきて学んだものはすべて生かす。年間10冊以上の本を書く。元日から仕事をする。取材は登場人物になった気分で綿密に。プロットがボツになったら、イチから練り直す……。こうした積み重ねが、これからも豊田の『LIFE SHIFT』した人生を支えていくのであろう。
豊田があこがれる西村京太郎は、東京スカイツリーの高さを超える冊数(635冊)までは書きたいという夢があるという。豊田にも夢がある。それは『電車で行こう!』を100巻出すことだ。きっと、それほど遠くない将来に、その夢は実現するだろう。また、その頃にはどんな人に出会い、どんなジャンルの小説に挑戦し、新しい人生を歩んでいるのか、豊田巧はいつまでも目が離せない作家なのである。=敬称略=
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