大規模な難民受け入れ施設となったクトゥパロン・キャンプにおいて、やはりつねに人が群がる場所が食料配給所だった。多いのは女性や子ども。難民証や配給チケットを手に、人々は食料を積んだトラックを待ち、暗いうちからひたすら配給所に長い列を作る。
「今度いつもらえるかわからないから、食事は1日1食」
運良く食料を受け取れた難民がそう話し、コメ袋を担いで“家路”へと向かう。キャンプ内は竹とビニールシートで囲っただけのみすぼらしい住居が並んでいた。その間を“汚水の川”が流れ、周辺に排泄物の匂いが漂う。露天掘りの井戸もある。そこでは飲み水を汲み、食べものを仕込み、同時に洗濯と子どもの尻も洗う。
最悪の衛生状態
彼らが食料を持ち帰って食べる場所は最悪の衛生状態だ。赤十字の調査では4割の難民が下痢を訴えているという。ひとたびコレラなどの感染症が発生すれば一気に蔓延するだろう。そして、栄養状態が不良で衰弱した、特に小さな子どもたちは病原菌に対し抵抗力がない。食料不足は飢餓という極限状態に陥る以前に、ちょっとした病気でも重篤化してしまう環境だ。ここは救える命でさえ簡単に失ってしまう危機をはらむのである。
仮設テントに6人ほどがいっしょに暮らすサヒールさんのところでも、配られたコメは尽きかけていた。彼はミャンマーでは料理人だったと言った。小さい店で自慢の料理をふるまい人気だったそうだ。その店でサヒールさんは襲撃を受けた。太ももを銃で撃たれ、重傷のまま逃げ、たどり着いたこの難民キャンプ。7針を縫う手術で命を取り留めた。
家の中は立つのも精一杯でとても狭いが、さすが料理人だからだろうか、調理場が居住スペースの一角にきちんと確保されていた。ちょうど彼の妻と娘が食事の準備をしていた。食べるものは配給以外に、近くの農家から野菜などの寄付があるという。もらったニンニクを炒め、拾ったトウガラシを炒め、さらにそこに洗面器に入った、なにやら魚を加工した食材をわしづかみで投入。見れば発酵食品とも言いがたい、限りなく腐敗物に近いグズグズに崩れ異臭さえ放つ自家製の代物だった。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら