偏差値ばかり愛する「教育後進国」の淡い末路 海外の先進国にフィンランドの事例も

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池上:私が小中学校に通っていたときに受けていた全国学力テストの結果は、都道府県や地域による差がものすごく大きかった。都会は学力が上で日本海側や東北は学力が低くて、格差がすごくあったんです。

ところが、最近は都道府県や地域による学力の差はほとんどない状態になっている。1億以上の人口がある国で全国津々浦々どこであっても子どもが一定の学力をつけることができたという点では、日本の教育は大成功ですよ。

増田:世界的に見たら、日本の教育は全然遜色ありません。

池上:日本の教育はおかしい、問題があると、日本では多くの人がよく言うのですけれど、そう思い込んでいるフシがあります。だから、日本の教育はすばらしいという本を出しても売れそうもない。危機だ、危機だと煽った方が評判になる(笑)。

増田:特に政治家が、自分の理想通りになっていないと嫌なのかもしれません。

文部科学省を解体せよ

池上:フィンランドだと、政治から教育への影響を排除するための仕組みができていることがすごいと思っています。教育省という、日本では文部科学省にあたる役所がフィンランドにはあります。その大臣、つまり教育大臣というのは日本と同じように政治家がその要職に就くわけです。ただ、教育省は教育のための予算を考えるところであって、カリキュラムは教育省のほかに国家教育委員会という組織があって、そこが現場の先生からいろいろな情報を吸い上げたり、調査をしたりして決めている。

カリキュラムが子どもや教育現場にとってどのような意味があるかということを踏まえて、日本でいうところの学習指導要領をつくっているわけです。その際には、専門家で議論をすることになっている。この政治家が教育の現場に口を出せないシステムはいいと思いました。

増田:最近のフィンランドの学習指導要領の改訂では、先程言った、さまざまな危機を乗り越えるための授業はさらに推進されることになったと聞いています。この自分で何か物事を考えるために、何もないところから考える力をつけるという課題を、フィンランドの教育はたいせつにしています。

池上:日本では、そういう教育の軸が政治家のせいでぶれる傾向が強いですね。教育を語ると聞こえはいいし、政治家が選挙のときに教育に一所懸命力を入れていますというと、なんとなくイメージがよくて票が集まるみたいなことになる。そうすると、政治家の方もそれをうまく使おうということになります。その結果、文教族と呼ばれる政治家が生まれて、それなりの一定数になる。

さらに文科省の役人たちは転勤が多いですから、文教族の方が教育行政に関する知識や経緯について詳しくなっていく。すると法案なども文教族の許可なしには文科省の役人も進められなくなってくるのです。

文科大臣が変わると、その大臣は自分の考えを形に残したい。そうすると、中央教育審議会を開いて、何かを変えなければいけないということを前提にして議論する。

今の教育がいいのか悪いのかということをきちんと検証することもないまま、「いじめが最近は多い」、「なんで少年事件がこんなに起こるんだ」、「異常な殺人事件が多く起きている」、「学力が低下しているんじゃないか」といったそれぞれ全くエビデンス(証拠)がない、印象をもとにした発言に引きずられて、さまざまなことが変えられていってしまう。

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