"宏池会のプリンス"岸田文雄氏の悩める日々 ポスト安倍で「直接対決」か?「禅譲期待」か?

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ただ、石破、野田両氏は「負けが分かっていても挑戦する決意」(石破氏側近)とされ、2015年総裁選のような「無投票」になる可能性は極めて小さい。前回総裁選で「閣僚在任中」を理由に出馬を取りやめた石破氏が、その後党内の支持を減らした経緯もある。

岸田氏が「次の次」を狙っても「その時点で首相がレームダックになっていれば後継指名など意味がなくなる」(自民幹部)ことが想定される上、石破、野田両氏に加えて河野、小泉両氏も参戦すれば、「岸田氏優位」どころか世代交代の波に直撃されて埋没する不安は拭えない。

現時点では岸田氏にとって最強のライバルである石破氏は、ここにきて首相批判を繰り返し、「ポスト安倍に名前が挙がり、何か言うとぶったたかれるというのは、いままで自民党でみたことがない景色だ」と対決姿勢を鮮明にしている。また、「初の女性首相」を狙う野田氏は、総裁選出馬への基盤作りとして来春にも女性政治塾を立ち上げる構えだ。しかし、岸田氏は「来年のことを今から言うつもりはない」と慎重姿勢を崩さない。

安倍・岸田会談での「禅譲」密約説も

党内では、岸田氏が外相から政調会長に転じる際、事前に数回行われた安倍・岸田会談で「(次回総裁選に)首相が出馬するなら自分は支える側に回ると約束した」(細田派幹部)との見方が広がる。「首相が退陣の際に岸田氏を後継指名し、細田派も岸田支持に回る」(同)といういわゆる禅譲説とのセットとされる。このためか、岸田氏周辺でも「首相との直接対決は避けるべきだ」(有力議員)との声が少なくない。

岸田氏は20日の代表質問の「むすび」で、1960年に岸信介首相(故人・首相の祖父)から政権を引き継いだ池田首相が、陽明学者の安岡正篤氏から「自分の政治哲学をはっきり持っていれば、おのずから『正姿勢』になる」と助言されたことを引き合いに、「総選挙で多くの議席をいただいた今こそ、『正姿勢』の3文字を胸に、日々前進したい」と締めくくって胸を張った。自身初となる代表質問であえて「首相批判」ともとれる持論を展開した岸田氏を、「総裁選出馬への独自色アピール」(国対幹部)と党内は受け止めている。

岸田氏は代表質問直後の22日、政調会長として毎週水曜日に定例会見することも発表した。前任の茂木敏充氏(経済産業相)は行っておらず、その前の稲田朋美氏(前防衛相)以来の定例会見復活について、岸田氏は「私自身の思いも発信していかなくてはならない」と政策決定を主導する意欲を強調。予算委攻防が始まった27日には国会を離れて地元・広島市に戻り、外相時代に設置した核兵器廃絶に取り組むための「賢人会議」に出席して「核軍縮は、核兵器の保有国を巻き込まなければ、1歩も動かない。核兵器のない世界に向けて協力するきっかけをつくりたい」と決意表明した。

「呼ばれればどこへでも行く」と存在アピールに余念がない岸田氏だが、政界から注目されるほど、その陰で来秋の総裁選での「堂々挑戦」か「禅譲期待」かで思い悩む日々が続くことになる。

泉 宏 政治ジャーナリスト

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いずみ ひろし / Hiroshi Izumi

1947年生まれ。時事通信社政治部記者として田中角栄首相の総理番で取材活動を始めて以来40年以上、永田町・霞が関で政治を見続けている。時事通信社政治部長、同社取締役編集担当を経て2009年から現職。幼少時から都心部に住み、半世紀以上も国会周辺を徘徊してきた。「生涯一記者」がモットー。

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