18歳・地下アイドルがハマった「うつ」の隘路 悩み、苦しみ抜いた彼女が自ら明かす真実

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出演することになった賞金付きのライブは、最短でも半年は勝ち続けないと優勝できないシステムでした。しかし、初めての投票制ライブで私は2位に選ばれたのです。本当はいちばん人気のある子が2位の子に抜かされないように、浮いた票が人気のなさそうな子に集中するというからくりがあったのですが……。そんなこととは露知らず、最初で最後だと思っていたことも忘れ、次回は1位になれるかもと、新しいファンを求めて私はほかのライブにも出演するようになっていきました。

そして私はしばらく、投票制のライブで自分と同じような新人の地下アイドルたちと順位を競い合うことになりました。私は運よく最初から応援してくれるファンの人たちが現れて、それから半年間を勝ち上がり続けて、優勝することができました。

そうしてイベントから卒業する頃には、ファンの人も、出演依頼をしてくれる関係者も、かわいがってくれる地下アイドルのお姉さんたちもいて、いつしか、自分でライブを主催するようにもなっていました。

集団からは弾かれる人間だと思っていた

それまで私は、中学校での経験から、集団からは弾かれる人間だと思っていたので、どこか許されたような気持ちになったのを覚えています。高校生活と同じように、地下アイドルの世界にも自分の居場所を見つけたように感じていました。

それ以降、私はどんな出演依頼でも引き受けるようになりました。自分に仕事の依頼がくるなんて、うれしくて面白かったのです。

あっという間に、平日は高校に通いながら、月に20本程度のライブに出演するようになりました。また、高校を卒業したら、大学に進学するか就職するか、いずれにせよ地下アイドルを辞めるつもりでいたので、金銭感覚が狂わないようにアルバイトも続けていました。

自分の許容量を理解できていなかった(写真:平山 訓生)

地下アイドルの活動は、出演するイベントがどんどん増えて、オリジナル曲も作って、いつの間にかすっかり、引退のメドが立たなくなっていました。

しかし、そんな生活を2年ほど続けるとだんだん、どれだけ働いても、どれだけ頑張っても、頑張っている実感が湧かなくなってきました。

周りの地下アイドルの女の子たちがもっと頑張っているように見えて焦って、私生活でも金銭感覚が狂わないようにアルバイトも辞めずにいました。

そんな中、地下アイドルの仕事が増えて、夕方に働ける日が少なくなってきたので、深夜にアルバイトを始めてしまいました。日中は学校へ通い、放課後にライブをしてから朝までアルバイトをして。外が明るくなってから課題を終わらせて、また学校に行く日々が続きます。完全に働きすぎていたのに、私は自分の許容量を理解できていなかったのです。

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