18歳・地下アイドルがハマった「うつ」の隘路 悩み、苦しみ抜いた彼女が自ら明かす真実

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2年生に進級して何カ月か過ぎた頃、後頭部から首筋にかけて何かが垂れてきました。そういえば痛がゆいような気がして母に見てもらうと、後頭部が爛(ただ)れて膿が流れているようでした。皮膚科に行っても原因がわからず、膿は固まるとフケのようになって制服のブレザーに落ちてきます。

いつしか授業中に私が発言すると同級生の男の子が舌打ちして、教室の机にはマジックで「死ね」と書かれるようになりました。わざわざそんなことを書かれなくても、とっくに心は死んでいました。

飲み薬と塗り薬をいくつも処方されましたが、鼻の穴の中まで爛れて、呼吸ができないほど膿で塞がり始めました。なんだこんな青春……。孤独感が募ります。

ついには学校から勧められて、半ば強制的にスクールカウンセラーにかかることになりました。週に数日だけ放課後にカウンセリングを受けていましたが、カウンセラーの人を信頼していいのかわからず、あいまいな世間話などをして様子を見ているうちに、通うのをやめてしまいました。

もう誰のことも信用できませんでした。

きっと人生はずっと地獄のようなもので…

直接的ないじめの被害に遭うことよりもつらかったことは…(写真:平山 訓生)

直接的ないじめの被害に遭うことよりもつらかったことは、自分はいじめられるような人間なのか、もう誰も私を受け入れてくれないのか、いつか精神的な居場所は見つかるのか、その不安のほうがずっとつらかったように思います。

結局、思春期の反抗期も併発していた私は、休学や転校を許してくれない両親が理解できずに反発するようになって、学校にも自宅にも精神的な居場所を失ってしまいました。

学校は地獄。きっと人生はずっと地獄のようなもので、大人になってからも私は社会で生きていけない人間なのだろう。そう思っていました。

おかげで高校選びは慎重に行いました。同じ中学から誰も進学しておらず、同級生も受験しない高校を第一条件にして、制服のない大らかな校風の学校を選びました。

みんな映画や音楽に詳しくて、文化祭では先生たちがバンドを組んで演奏するような文化的で陽気な高校でした。外で働いたり遊んだりすることや、音楽を好きでいること、面白い大人たちと話すことのような、中学生のときには許されなかったり、まゆをひそめられたりしていたことがやっぱり楽しかったです。

高校生になった私は、会話や文化を貪り、アルバイトをすることによって再び居心地のよい場所に落ち着き始めました。

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