18歳・地下アイドルがハマった「うつ」の隘路 悩み、苦しみ抜いた彼女が自ら明かす真実

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地下アイドルと初めて遭遇したのは、2009年2月7日。高校生になったばかりの頃です。私は15歳になっていました。

高校から大きな道を1つ挟んだところに、1棟が丸々落ち着いた雰囲気のクラブになっているビルがありました。そこで知り合った人たちから、「アイドルの誕生日イベントでDJをするからおいでよ」と誘ってもらったのです。会場は新宿の歌舞伎町で、ビルの地下2階にあるロフトプラスワンでした。

地下アイドルはまだ世間的にも全然知られていなくて、言葉にできないあいまいな存在でした。ほとんどの人が名称すら聞いたことがなかったはずで、蔑称の意味が色濃かったので、出演者の女の子たちも自称していなかったように思います(そもそも彼女たちが地下アイドルという単語を知っていたかどうかも不明)。

私は小学校のときにはやっていたモーニング娘。を思い出しながら会場に向かいました。しかし、そこで目にしたのは知っているアイドルとはまったく異なるものだったのです。まず、舞台と客席がとても近くて、手を伸ばしたら触れられる距離にアイドルがいます。お客さんも、そんなに多くありません。

それから、主役の女の子以外は、カラオケで定番のアニメソングや、はやりのアイドルソングを歌っていました。衣装もおそらく市販されている既製品で、歌や踊りも、モーニング娘。とは、なんと言ったらいいか、ちょっと違いました。何よりも、興奮のあまりいすを振り上げながら声援を送っているサラリーマン風の男性に衝撃を受けたものです。

もともとのアイドルのイメージとは違っていましたが、それでもアイドルの女の子がこちらを指さして手を振って笑いかけてくれたときには驚いてドキドキしました。

ライブが終わった後、今度は先の彼女が客席までやってきて話しかけてくれました。そのときにはもう自然と、「アイドルの人と話した」と感じていました。最初は普通のお姉さんに見えていた彼女が、舞台の上と下で出会った後、私の中で完全にアイドルになっていたのです。

地下アイドルとしてステージに

それから約3カ月後の2009年4月30日、16歳になった私は四谷Live inn Magicの舞台に、地下アイドルとして立っていました――。あの後その彼女から半ば冗談で誘われて、彼女の主催ライブに出演させてもらうことになったからです。

私は、その日だけ自分自身を「゚*☆姫乃☆*゚」と名付けました。特になんの思い入れもない、張りぼての芸名です。

その日、たった5分の持ち時間を与えられた私は、1曲だけアニメソングを歌いました。

そしてどういうわけか、その様子を見ていた関係者の人から、投票制のアイドルイベントに出演してみないかと誘われたのです。

もちろん私のパフォーマンスがよかったわけではありません。新人の地下アイドルには、新人の地下アイドルにしかない需要があるのです。

この日のことについて後に、歓声が忘れられなかったかとか、アイドルになって生まれ変わった感じがしたか、などと聞かれますが、そういった輝かしい感情はありませんでした。ただただ「最後だと思ってたのに、またライブに出るんだ」とだけぼんやりと思った記憶があります。

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