原発事故から2年半。「避難」に奪われた命 東京オリンピックと終わらぬ悲劇
工場での介護
遠藤事務長らは、サンライトおおくまの利用者がいる工場の奥にある食堂に向かった。中に入ると、幾分暖かい感じがしたが、それでも寒い。室内は排泄物の臭いが漂っていた。冷たい床の上には座布団が敷かれ、その上に毛布にくるまれた利用者が身体を縮めて横たわっていた。
「こんなところで寝られないだろう!?」
遠藤はそう思ったが言葉が出てこなかった。
横では、利用者のプライバシーに配慮することができないまま排泄処理が行われていた。ケアをする職員の目は暗く淀んでいた。寒さの中で、ジャンパーも羽織ることなく、5日前に避難してきたままのジャージはところどころ汚れていた。自分が当たり前のように着ていたジャンパーが急に着心地が悪くなった。目頭が熱くなり、たまらず、ジャンパーをサンライトおおくまの職員に手渡した。涙で職員の顔が見えなかった。
定員外での被災者受け入れ
「最後は俺がケツ拭くから。明日にでも受け入れるよ」
遠藤事務長が工場を後にした16日の夕方、会津みどりホームの施設長、小林欽吉さん(当時69歳)は、サンライトおおくまの池田施設長から電話を受け、利用者を受け入れてほしいという要望を快諾した。しかし、全員を受け入れることは到底できない。そこで、会津地方全域の特別養護老人ホームに次々と連絡をとり、受け入れ施設の調整を試みた。介護環境のない避難先で生活している施設はサンライトおおくまだけではないのだ。
「あんたにそんな権限あるの?」「誰の権限なの?」
会津みどりホームの小林施設長が、避難した介護施設の利用者の受け入れを呼びかけると、こう問いつめる施設もあった。受け入れることができても、1~2人という施設がほとんど。
福島県は全国と比べて高齢化率の高い自治体である。全国の高齢化率が30%に満たないのに、会津地方の山間部では高齢化率が50%を超える地域があるほど高齢化が進んでいる。どこの特別養護老人ホームも満床であり、待機者リストには100人以上の名前が連なっていた。
「そんなの、職責もなんもねぇけど、困ってたらほっとけねぇべ?」
小林施設長は定員の1割程度を受け入れてほしいと頼み込んだが、この要望は会津地方の特別養護老人ホームにとって無理難題に近いものだった。
さらに厳しかったのが、介護度の高い人や、経管栄養剤を利用するために鼻などにチューブを入れた人、痰の吸引などの医療措置が必要な人、そして精神疾患の重い人の受け入れ先の確保だった。
医療行為の必要な高齢者や、介護度の高い利用者は、身体能力も抵抗力も低いため、介護環境が整っていない避難所生活の期間が数日であっても発熱や床ずれを引き起こし、症状が重症化しやすい。優先して受け入れ施設に避難させることが望ましいが、受け入れ施設の対応能力が限られている場合は後回しになることが多かった。
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