教育困難大学に「不本意入学」した学生の実態 「授業に出ない」ことを認めた教員の考えは?
もともと、「教育困難大学」は入試の回数と種類が多いのだが、中でもその年度の大学入試の結果がほぼ出そろった3月中旬以降の入試には特別重きを置いている。このタイミングで、志望校に落ちて傷心状態にある受験生を集めると、その大学のトップ層候補となりうるからだ。「教育困難大学」の大学パンフレットに紹介される在校生や卒業生は、この流れで入学して、くじけずに大学生活を続けた者が多い。地域では進学校や中堅校として知られる高校の出身者が入学することは、大学のイメージアップにもつながる。今春の3月中旬以降の入試では定員厳格化で切られて行き場を失った受験生が、大都市近郊の「教育困難大学」に流れてきたようだ。
まだ少数ではあるが、入学した学生の国語の基礎学力試験を実施している大学もあるが、大学の授業が始まると教育困難校の出身者と進学校・中堅校出身者との違いが明らかになってくる。また、多くの大学では英語の授業を能力別クラスで行うために、入学前後に英語のテストを課す。これらの結果には出身高校の学力差が歴然と出る。
「不本意入学」をした学生の特徴
最初の頃の顔付きもまったく違う。何も考えていないような表情、あるいは新しい生活への不安を隠せないような大多数の学生とは異なり、他大学一般受験不成功組の学生たちの顔には「本来、こんな場所にいるはずではなかったのだ」という傷ついたプライドが表れている。今春、筆者の持つクラス、特に社会科学系学部のクラスでこのような面持ちの学生が多く見られた。
最初は、ほかの学生とあまり話をしようともしないのだが、しばらくすると同じ入試タイプで入学した学生同士が仲良くなっていくのが不思議である。互いに落ちた大学名を言い合い慰め合う光景が見られるようになる。
だが、大学受験に失敗したことにより落ち込んだ自己肯定感はなかなかぬぐえないもののようだ。その体験をバネにして、大学生活に積極的に取り組もうとする学生は少数派で、多くは、周囲の学生との学力差から学習面の苦労はまったくないがために、よく言えばゆったりとした、悪く言えば向上心を失った油断しているような大学生活を送っている。
その一方で、「自分はこんな大学に来る人間ではない」と思うプライドが抑えきれず、また、周囲の学生の低学力への失望と自分の将来についての焦りなどから、大学に籍を置きながら授業には出ず、来年度の受験勉強をしている「仮面学生」も、どこの「教育困難大学」にも必ずいる。
このほかに、極々少数ではあるが、受験勉強に耐えうる学力を持ちながらあえて「教育困難大学」に進学する学生もいる。病気や体力面の不安を抱え、通学が楽な大学を選んだ学生たちである。高校までの部活動で足腰を痛め、長時間電車に乗れなくなった学生に、筆者は毎年必ず数名は出会う。入院するほどではないが、難病治療中の学生もいる。
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