「私が28歳になった頃、子どもがそろそろ欲しいなと思うようになりました。欲しがらない彼を半ばだます形で妊娠しちゃいましたね。できたらできたで彼も納得してくれたと思っていました」
家の購入、結婚、子作り。重要事項のすべてを佐知子さんが主導している。かつては自分を見上げてくれていた後輩についていくしかない状況に、健一郎さんはふがいなさを感じていたのだろう。かといって、プロミュージシャンになる夢を捨てて就職する気にもなれない。健一郎さんが選んだのは不倫の道だった。
「娘がまだ3歳だったときのことです。彼が携帯電話を家に忘れたので、メールを見てしまい、すべてがわかりました。年末年始も建設現場のアルバイトがあるなんておかしいなとは思っていたのですが、女と会っていたんですよ。しかも、私とは別れ話を進めていることになっていました」
佐知子さんは冷静さを保ち、その女性と別れてほしいと伝えた。しかし、健一郎さんの答えは意外なものだった。
「お前は1人でも生きていける、と言われました。いま付き合っている彼女は精神的に弱くて、『オレが守ってやらなくちゃ』と初めて思えたのだそうです」
あっさりと離婚を承諾
か弱く見える女性が心優しいとは限らない。自立心が低いだけのワガママな人である可能性もある。佐知子さんがあっさりと離婚を承諾したことに、その女性は不安と不満を覚えたようだ。自分が奪ったのは、妻から愛想を尽かされるような男性だとようやく気づいたのだろう。結局、健一郎さんは新恋人からも捨てられることになってしまった。自業自得である。
佐知子さんは当時33歳。娘はまだ小さいが、貯蓄ゼロの健一郎さんから慰謝料や養育費を受け取ることは考えていなかった。ただし、自宅だけは守りたい。ローン返済中の銀行には「今まで2馬力だったのが1馬力になってしまうが問題ないか」と相談。佐知子さんは会社で出世をしており、収入は入社時の1.5倍を超えていた。銀行の承諾を得てローン問題は解決。仕事で付き合いのある司法書士にも相談し、健一郎さんと財産分与に関する交渉をした。そして、争うことなく自宅は佐知子さんだけの名義となった。
関西出身の佐知子さん。東海地方での仕事を続ける限り、実家の両親に育児を頼ることはできない。セーフティネットになったのは、保育園および保育園仲間の大人たちだった。
「娘が通っていた保育園にはシングルのお父さんやお母さんが多かったんです。特に仲のいい5人とはお互いに助け合って子育てを乗り切ることができました。朝早くに現場に行かなければならないという職人さんの子どもを、前日からわが家で預かったり。あまりに親しくしているので、あの2人は付き合っているんじゃないかと他の親たちから疑われたこともあります」
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