福岡「博多芸妓」の江戸時代に遡る意外な原点 伊藤博文やウイスキーの「マッサン」も愛顧
芸者といえば東京の浅草、京都の祇園などを思い浮かべる人も多いだろう。しかし実は、福岡にも「博多芸妓(げいぎ)」と呼ばれる芸者たちの歴史があり、お座敷文化を継承している。美人の宝庫と言われる福岡で、あでやかに舞う彼女たちに迫った。
花街として栄えた博多
毎年200万人の人出でにぎわう福岡市中心部の一大イベント「博多どんたく港まつり」。大型連休まっただ中の5月3、4の両日、街角に設けられた演舞台で踊る「博多芸妓」たちは、ひときわ熱い視線を集めていた。
「あなたみたいないい男/私みたいなお多福が/提燈(ちょうちん)釣り鐘釣り合わぬ/見捨てられても無理はない」――。
三味線や鳴り物(鼓や鐘)を奏で、お座敷唄「ストトン節」を歌う黒紋付姿の芸妓たち。白っぽく華やかな着物姿の芸妓たちは袖や裾、指先が柔らかくしなる。ほほ笑みながらこちらをじっと見つめ、突然うつむいたかと思えば再び見つめ直す……。そんな仕草に、観客は見ほれていた。
博多は芸妓たちが出入りする「花街」として栄えた歴史があり、所属事務所に当たる「券番」が今も残る。彼女たちは、その博多券番の芸妓たちだ。踊り手は「立方(たちかた)」、唄や囃子(はやし)を担当するのが「地方(じかた)」。現在、立方は12人、地方は7人で計19人。券番は芸妓たちが自ら運営し、代表を立方の「こまこ」姐(ねえ)さん、副代表を地方の「はと奴(やっこ)」姐さんが務める。「姐さん」は先輩格の芸妓に敬意を込めて呼ぶ敬称だ。