日本はいまロシアと組む絶好のチャンスだ 鈴木宗男×中村繁夫が日ロ関係の未来を語る
中村:自民党を中心に、長い間日ロ関係に携わってこられた鈴木さんが、安倍首相のもとでふたたびご活躍するのは2015年の12月以来ということですが、長門・東京会談はマスコミの主要な論調とは裏腹に、「100点満点」だったわけですね?
安倍首相の「2つの技あり」とは?
鈴木:そのとおりです。昨年の会談は大成功だったと思います。柔道の言葉を使って言えば、あのとき安倍首相には「2つの技あり」がありました。1つ目は「特別な制度」を使った共同経済活動の提案です。これは事実上、平和条約の一部に踏み込んだと言ってもいいものです。
実は、私は1998年11月の小渕恵三首相とエリツィン大統領(いずれも当時)の日ロ首脳会談に私は官房副長官として同席していましたが、この時、私は「共同経済活動委員会」設立を進言し、実際に立ち上げました。この時は、残念ながら実際の活動は主権の問題でできませんでした。
しかし、昨年安倍首相は首脳会談で粘り強く交渉し、「両国の法的立場を害さない」特別な制度の下での共同経済活動の枠組みづくりを開始することに合意しました。いわば、主権を置いてです。なぜこれが平和条約の一部に入り込んだことになるのかと言えば、相手側が実効支配している土地に入って、活動するわけですからね。
提案を受け入れたプーチン大統領も大したものです。「共同経済活動が北方領土問題の解決に資するのか」との批判がありますが、そういう人には「ではどうやって、問題を解決するのか」と逆に問いたいのです。
もう1つの「技あり」は、北方領土出身の元島民の手紙をプーチン大統領に手渡したことです。元島民の平均年齢は現在81歳を超えており、墓参などで空路利用開始を訴えたわけですが(現在は船の航路のみで入域手続は国後島沖に限定。4月の首脳会談では墓参などでの空路利用開始を合意。入域手続地点も歯舞群島付近にも新設することで合意)、元島民の手紙は本当に心温まるものでした。手紙には、「生きているうちに自由に故郷の島を往来したい」という願望に加え、墓参などの相互交流で生まれたロシア人との信頼と友情関係が育まれていることに触れ、「(北方領土)を共生の島にしたい」と書かれていたわけです。
プーチン大統領が、「手紙に心を打たれた」と記者会見でおっしゃっていましたが、「島を返せ」と書いてあるのが当然だと思っていたからでしょう。これこそ2つ目の技ありでした。ここまで安倍首相が対ロ外交に力を入れるのは、やはり亡くなられたお父様(安倍晋太郎外相、1991年死去)の影響も大きいのだと私は思います。1991年にゴルバチョフ大統領が日本を訪問した時の歓迎式典に安倍先生は病気を押して車いすで出席され、ゴルバチョフ大統領と会ったのです。覚えておいでの読者の皆さんもいると思いますが、そのとき、車いすを押していたのが今の安倍首相です。
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