「異色すぎるNHK経済番組」は、こう生まれた 大反響!「欲望の資本主義」発想の原点
これが西部さんのある年の「経済原論」最終回、締めくくりの言葉だと記憶する。これから日本経済の中心で経済理論を駆使しようという学生たちに対しなんとも大胆な宣言だが、これに対し彼らが瞬時に発した違和の声が今も鼓膜に残る。時代の空気を生々しく感じた一場面だ。
ちなみに、「経済とは数字の物語」という言葉、今回の「欲望の資本主義」番組内でも遭遇した。かつての西部さんと同じセリフが、「資本主義をインストールした国」=チェコの経済人トーマス・セドラチェクの口から漏れたのも、感慨深かった。
時代が変化するときにこそ求められるもの
刺激的な論考、新たな認識の可能性は、つねに根源的な問いから始まる。奇を衒(てら)うのではなく、その「内側」にある根本のところを掘っていったがゆえに、いつの間にか「外側」に出てしまうのである。越境してしまうのだ。
アダム・スミスも、ジョン・メイナード・ケインズも、カール・マルクスも、ヨーゼフ・シュンペーターも……。これこそ経済学が、多くの学問というものが抱えるパラドックスだ。
バブルという時代が抱えていたパラドックス、学問がはらむパラドックス、そして人間のパラドックス……。こうした不思議と時に正面から向き合い、時に斜めに読み解こうとすることで、番組という形を成立させてきたように思えてならない。
この、ジャンルをはみ出していくようなアプローチが、今経済学という学問の中でも切実度を増している、と言い換えることもできるだろう。実際「近代経済学」の「近代」、そのありよう自体が揺れている時代でもあるのだから。
「資本主義とは?」「利子とは?」「価値とは?」そして「欲望とは?」。
こうした古くて新しい問いかけは、不思議な変遷を遂げ、そして今、時代は巡る。思いも寄らぬ屈折した局面を見せる。「上り坂」から「下り坂」へ、時代の様相が変化するときこそ、根源的な問いが要請される。
予想を超えて大反響を生んだ番組「欲望の資本主義」。安田洋祐さんやスタッフたちとの共同作業による成果だが、学生時代バブルの中で生まれた個人的な「反時代的問い」がベースとなり、今という時代と共鳴して具現化したことに複雑な感慨を禁じ得ない。
資本主義の先行きが霧の中にある時代に、いつの間にか、30年以上前の問いかけが、妙なリアリティを帯び始めているのかもしれない。パラドックスも、越境も終わらない中で、番組作りは続く。
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