かつては、地上波での全国放送はほとんどが巨人戦だった。2001年まで、巨人戦はほぼ全試合が地上波で中継されていたが、2005年には129試合、2010年には32試合と激減し、2015年はわずかに7試合。夜、家族でプロ野球をテレビ観戦することは、昭和時代には、間違いなく家族のだんらんを象徴する光景だった。だが、今では、すっかり過去の話になってしまった。
何しろ、視聴率が取れない。巨人戦の年間平均視聴率は1983年の27.1%が頂点。その後も20世紀中はほぼ20%台をキープしてきた。それが、2003年に14.3%と初めて15%を割り込み、2006年には9.6%とついに1ケタ台に。最近は4%以下と惨敗することも珍しくない。急激に落ち込んだ視聴率には、いまだに歯止めがかかっていない状況だ。
視聴率争いでしのぎを削るテレビ局から見て、野球はもう「数字が取れない」コンテンツになってしまったのだ。地上波からプロ野球中継が絶滅しつつあるのも無理のないことである。
プロ野球放送「視聴率急落」の意味
視聴率の急落は何を示すのか。私は、野球ファンの「実数」の減少にほかならないと考えている。どんなに熱心なプロ野球、あるいは特定の球団のファンであっても、テレビの前では「1人」とカウントされるだけだからだ。球場に何度も足を運ぶファンがいれば観客動員数が伸びていくのとは、ワケが違う。
「プロ野球ファン」の人口が減り、それに伴ってテレビでプロ野球を見る人が減少しているから、視聴率も下がる。視聴率が稼げなければ、放映本数は減少する。熱心な野球ファンでも、20代などの若い世代にとっては「昔は、巨人戦全部地上波で中継していたんだって? 信じられない」と、かつての野球中継の華やかさは、すっかり夢物語になっている。
今から半世紀前、私が小学校に通っていた時代、友達が「今夜、プロ野球見に行くんだ」と聞くと、本当にうらやましく思ったものだ。学校では、シーズン中は毎日、プロ野球の話題で持ちきりだったが、私も含めて実際に見に行くことは年に1度もなかった。昭和の時代、母数が大きかったプロ野球ファンの多くは、球場に足を運んで野球を見ることはなかったし、そうしたくてもできなかった。だから、ほとんどがテレビ観戦だった。
1970年ころの観客動員はセ・パ合わせて1000万人弱。それに対して、視聴率は今とは比べものにならない高水準の20%超だったという数字のからくりはここにある。
つまり、かつての日本は、熱心ではないにせよテレビ観戦を欠かさない「普通のファン」が非常に多くて、球場に日参するような「コアなファン」は少数だった。しかし今は、テレビ観戦だけのファンは非常に少なくなった。そもそも地上波の野球中継はほとんどなくなったから、見たいと思っても見ることができない。
確かに、プロ野球界がたゆまぬ営業努力を続けて熱心なファンを作り出していったことは、1つの功績だろう。
しかし、熱狂的なファンを野球ファン全体の中心軸と考えた場合、かつてはそこから大きく緩やかに広がっていた「普通のファン」の裾野は、見る影もないほど小さくなっている。
すでに若い世代の間では、野球はマイナースポーツになりつつあるのが実情だ。コアなファンの熱狂にあぐらをかくのではなく、今こそ野球界の「裾野」を広げる努力をしなくては、日本野球の将来が危ういと言わざるをえない。
記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
印刷ページの表示はログインが必要です。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
無料会員登録はこちら
ログインはこちら