グランクラスより儲かった国鉄の「特別座席」

1カ月ちょっとで元が取れた「パーラーカー」

パーラーカーの区分室(国鉄制作のパンフレットより 所蔵:山口雅人)

当時、東海道本線の列車の混雑は激しく、特急列車を増発するために151系を多数製造したのはやむをえない。しかし、東海道新幹線はパーラーカーが営業を開始する約1年1カ月前の1959年4月20日に着工となり、東京オリンピックの開会式までに開業するべく、昼夜を問わず突貫工事が行われていた。短期間で用済みとなることがわかっていながらパーラーカーをあえて開発し、しかも151系を使用したすべての列車に連結したのは国鉄の判断ミスであったのではないかとも思える。

パーラーカーは全列車に必要か

国鉄は、1958年10月と1959年2月に副総裁、技師長、常務理事、関係する各局長を委員とする企画委員会を開催し、客車で運転されていた「つばめ」「はと」を電車の151系に置き換える方策について話し合った。

その際に問題となった点の1つは、「つばめ」「はと」に連結していた、特別座席を備えた一等車の展望車の処遇だ。151系に置き換えた際にパーラーカーを連結すべきかどうか、そして連結するとしたらパーラーカーを「つばめ」「はと」だけに限定して用いるのか、それとも「こだま」を含む151系で運転されるすべての特急列車で用いるのかであった。

ここで前提となる条件を記しておこう。1958年11月1日に営業を開始した「こだま」は三等車(1960年6月1日から二等車。現在の普通車)が6両(うち2両は1両の半分がビュッフェ)、同じく二等車(1960年6月1日から一等車。現在のグリーン車)が2両と、今日の特急列車と似た内容の編成を組んでいた。

そして、国鉄は「つばめ」「はと」を客車から12両編成の151系に置き換えるに当たり、混雑の激しい「こだま」を8両編成から12両編成へと増強する計画も立てた。

企画委員会は、元来「こだま」に使用されていた24両に加え、あと何両の151系をどのように製造するかについて3つの案を提出した。各案の内容、そしてこれらに対する意見のあらましは、このころ国鉄の総裁室調査役であった林武次氏が『特急つばめ・はとの電車化をめぐつて』と題し、交通協力会発行の「交通技術」1959年4月号に寄稿している。

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