徐々にくずれゆくピラミッド型組織
それまで「封建的」とたたかれることの多かった大学医局だが、「僻地への医師派遣」などでそれなりの社会貢献もしていた。この制度変更で、大学医局はそういう余力を一気に失った。新聞やテレビで「医師不足」「医療崩壊」の文字を見かけることが多くなり、それは現在に至るまで本質的には改善していない。ちなみに、この批判の多い新臨床研修制度だが、すでにあれこれ関連する天下り団体……もとい第三者機関ができており、それぞれの団体で理事とか評議員とか就任しちゃっているので、いまさら廃止するのはかなり困難そうである。
また日本の医大定員は1980年ごろまで一貫して増加し、その後に「医師過剰(=医療費増加)を警戒→定員削減」に転じるため、2000年代後半ごろから頭数の多い「医大バブル期入学世代」が管理職に転じる年代となった。多くの大学医局は、「特任教授」「臨床教授」といった管理職ポストを増やすことによって中高年医師をつなぎとめ、大学医局における若手医師不足の帳尻を合わせようとしたが、そこはすでにかつてのような整然としたピラミッド型組織ではなくなっていた(図4)。
そもそも医局制度とは、日本社会のそこかしこに見られる年功序列制度の一種である。「若い頃に割安な給料でソルジャーとして働く→中年(おおむね40代)以降はラクでそこそこ儲かる」というシステムでもあった。そして2004年以降、「頭数に比べ、少ないポスト」「おいしいポストはジジイが定年までしがみつき」「部下なしナンチャッテ管理職の増加」という、バブル崩壊以降に多くの日本企業で散見された症状に、大学病院も苦しむようになった。
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