12月13日、イタリア最大の銀行・ウニクレディトの再建計画が発表された。発表前の時価総額とほぼ同額の130億ユーロ(1.6兆円)の自力増資や全体の1割に当たる1万4000人の人員削減、国内支店の4分の1の閉鎖、177億ユーロの不良債権処理を含む大掛かりな内容だ。年明け1月12日に臨時株主総会にかけられる。
これに対し、計画発表から3日間でウニクレディトの株価は15%上昇した。しかし、市場にはトラウマがある。2014年3月、ウニクレディトがイタリア金融史上最大の1.8兆円の損失と経営計画を発表した時も、株価は発表直前の上昇も含め一週間で18%上昇したが、その後再び計画の練り直しを余儀なくされたのだ。
霧はいつ晴れるのか。日本では、長期にわたる金融不安が転機を迎えたのは2003年5月のりそなへの公的資金注入、いわゆる「りそなショック」によってだった。不良債権に悩まされていたりそなに対し、株主資本の2倍に当たる1.96兆円の公的資金の注入が発表された。当初は上げ渋っていたりそな株も発表から1年で約3倍になり、金融危機からの脱出によって東証株価指数も、1年で3割上昇した。
今のイタリアは、行き過ぎた投資、不良債権の処理を急がなければならないのに地元顧客のしがらみがあるなど、日本の2000年代初頭の金融業界のデジャブである。では、今回のウニクレディトの再建策はイタリア版「りそなショック」となるだろうか。
ウニクレディトはどこで間違えたのか
イタリアの金融業界の歴史は古い。bankという言葉も中世イタリアの銀行家が広場などで椅子"banca"に座って銀行業を行っていたことに由来する。ウニクレディトも、1870年に設立されたバンカ・ディ・ジェノバがその起源という由緒正しい銀行だ。
だが、自由な営業を許していたイタリアの銀行業界は、異常なまでの過当競争に陥り、1990年時点で1,100もの中小規模の金融機関が乱立していた。その後、国際決済銀行(BIS)の資本規制や、1990年に成立した「アマート法」を背景に、再編・民営化、資本の充実策が推進された。この際、再編の核となったのが、現在のウニクレディトとインテーザという2大銀行だった。
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