「何に時間を使うか」こそ、最重要の問いだ 本質に基づいたマネジメント論の可能性
本質的に問うべきは、「資本の最大化の方法」ではなく、「何にどのように時間を使うことが自分の時間、すなわち人生の価値を最大化できるのか」ということです。
限られた人生の時間を何に使えばいいのか。この問いの答えは、当然、人によって違いますよね。私はとにかく仕事を頑張りたい、という人もいれば、子育てにできる限り時間を使いたい、という人もいるでしょう。同じ人でも、ライフステージによって答えは変わって当然です。
ただ、「時間は絶対的に有限で増やすことはできない」ということを深く自覚していないと、どうでもいいことに貴重な時間を費やしてしまうことになりかねません。ゲームにはまっている時は楽しいですし、リフレッシュになったり、趣味としてやっているならいいと思うのですが、後から振り返ったときに「何であんなことに何十時間、何百時間も費やしてしまったんだろう?」と後悔しないようにはしていきたいところです(笑)。
「本質」とは何か、どうやってつかむのか
では本質とは何か。本質とは物事の最も重要なポイントのことです。実は物事の"本質"を捉えることが、仕事で成果をあげるにしても、充実した善い人生を送る上でも最も重要なことです。朝日を見るために西に向かったらいかなる努力も実を結ばないように、本質を捉え損ねると、どんなに知識があって、頭が良くて、抜群の行動力と精確な技術があっても、その分正確に間違えることになるためです。恋愛だって自分が本質的にどういう人が好きであり、どういう人生を送りたいのか、そして相手の本質をうまく見極めなければ、パートナーとしてうまくやっていくことは難しいでしょう。
ただ、ここで重要なことは「本質」は「真理」ではない、ということです。真理というのは、「絶対的な正しさ」ですから、自分が何かを「真理」だと決めた瞬間に、他の選択は間違いだということになりますよね。
本質というのは、あくまで、自分で掴み取り、あるいは探求していくものです。ただ、頭から信じるとか、誰かが言っているから従うのではなく、自分で「本当かな」と確かめるプロセスなくして、それは「本質」とは言えません。そうやって批判的に検証しながら、だんだんと「これは確かにそうだよな」「これがこの本質だな」と自己了解していくことが大切です。
本質というのは、誰もが「なるほどそうだ」と広く了解できるようなものです。でも、だとすれば、それを探求する意味なんかないじゃないか、と思われる人もいらっしゃるかもしれません。そんな当たり前のことなら、わざわざ学問にする必要があるのか、と。
でも、話はそう簡単ではありません。なぜなら私たちはしばしば、本質的ではないものを本質だと思い込んでしまう生き物だからです。
たとえば、医療の世界では、同じように患者さんが「痛み」を訴えていても、お医者さんが拠って立つ世界観によって、まったく対処が違うという現実があります。「痛みには原因があるはずだ」という世界観に立つお医者さんは、原因のわからない痛みは、あくまで患者さんの主観に過ぎないものとして、軽視しがちです。一方で、「痛みを軽減することは医療の大切な役割だ」という世界観に立つお医者さんは、原因のわからない痛みであっても、それを軽減するための対処を怠らないのです。
依って立つ世界観の違いによって、同じ現象に対する態度や行動の違いが生じること。これは医療の世界だけではなく、他の学問領域やビジネスの領域でも、ほとんど例外なく起きていることです。ドラッカー学会で私の論文が評価されたのも、ドラッカーという稀代の経営学の論者に対する評価が、(狭義の)科学性を重視する「経営学者」と有用性を重視する「経営者」で大きく割れている現実を踏まえ、その対立を乗り越える方向性を示したからです(詳細は、ドラッカー学会誌掲載の論文をごらんください)。
物事の本質を捉えるというと、哲学的で抽象的な議論だと思われがちです。しかしながら、医療にしても、ビジネスにしても、どういう世界観によって立つかによって全く問題の捉え方や、対処の仕方が変わってくる。だから、気をつけないと非常に不毛なことに、貴重な人生の時間を遣ってしまうことにもなりかねません。
だからこそ、本質を掴み取るための方法論を学ぶことが大事だと私は考えています。エッセンシャル・マネジメント・サイエンスという「本質を求める人のための学問」は始まったばかりです。オンラインサロン「エッセンシャル・マネジメント・スクール」という場で、多くの人とこの学問を深め、発展させていきたいと考えています。
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