32歳崖っぷち女を変貌させた婚活戦争の壮絶 東京カレンダー「崖っぷち結婚相談所」<17>
「……はい……」
杏子は俯きながら、絞るように声を出し返事をした。
「どの面下げて」という言葉があるが、きっと今の自分は、その表現にピッタリな顔をしているだろうと杏子は思った。「では、当たり前のことですが、知樹氏とは、今後一切連絡を取らないでください。婚活の妨げになりますし、僕の立場としても、不純異性交遊を知ってしまった以上、きちんと約束して頂けない限りは、マッチングは出来ません」。
「ふ、不純異性交遊って……。私、もう32歳ですけど……」。直人は杏子の軽いツッコミを完全に無視し、部屋の外へ出ると、何やら用紙を1枚持って戻って来た。
「この誓約書にサインを」。その用紙を見て、杏子は目を丸くする。それは、簡易に作られた、知樹とは二度と接近しないという誓約書だった。
無益な関係は、それでも損切りするしか術はない
「こうでもしないと、知樹氏の獰猛な誘惑に、杏子さんはまた流されるでしょう。馬鹿馬鹿しいと思うでしょうが、書面に残すのは、意志を明確にする一つのツールです。絵馬や短冊に願いを書くのと、同じようなロジックです。」
――獰猛な誘惑……。
昨晩の出来事が、杏子の頭をよぎる。知樹は突然杏子の部屋を訪れ、玄関で押し問答となった。杏子はもちろん突っぱねてやるつもりであったが、知樹に手首を掴まれた瞬間、その熱い体温に、ふと気持ちが緩んでしまったのだった。
結局、杏子は寂しいのだと思う。寂しくて寂しくて、仕方がないのだ。その寂しさに付け入れられ、強引に求められてしまうと、最終的には、どうしても拒否することができない。頭では分かっていても、「今回だけは……」と、楽な方へと流されてしまう。
そんな弱い杏子を、やはり直人は見抜いているのだ。杏子は大人しく直人に従い、誓約書にサインをした。
「杏子さん、婚活は想定以上に辛い道のりだという事は、僕も分かっています。しかし、無益な関係は、多少辛くとも、きちんと損切りのタイミングを見極めるべきです。でないと、どんどん深みにハマってしまいます」
「……損切りですか……。相変わらず、分かりやすい例えをしてくれますね……」
全く、直人の言う通りだった。杏子は反抗する術もなく、ションボリと答える。「散々僕のカウンセリングを受けてきたのだから、杏子さんも既に頭では理解しているはずです。しかし、心が折れそうになるときは、誰でもあります。もう一度、一緒に頑張りましょう」。直人は最後に、俯きっぱなしの杏子の顔を覗き込み、いたわるような眼差しで、思いのほか優しげに言葉を添えた。