昭和天皇が乗車する列車に衝突した「物体」

「実録」から読み解く御召列車の全貌

昭和42(1967)年に宮内庁と国鉄が打ち合わせた結果、「御専用車以外の車両は、一般旅客に開放する」ことになった。この「混乗」ははやくもこの年4月7日、岡山植樹祭行幸の折、東京~新大阪間に利用した臨時「ひかり311号」で実現した。

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しかしこの列車は「時刻表」に載っていないため、切符の売れ行きが良いはずがない。事前に切符を予約したのはわずか7人だった。しかもこの人たちについて警察が身元調査をしたという話もある。団体客は予定では240人だったのが、結局82人に。当日東京駅では「11時30分に、臨時ひかり311号が発車します。まだ席に余裕がありますから、お求め下さい」と構内アナウンスも流れたほどだ。

「ひかり311号」は0系12両編成。ただし車両の入れ替えをして、大阪方から3両目(3号車)に1等車を連結、これを御料車とした。前後2両ずつが供奉車。6号車から12号車に一般客を乗せた。ホームには石井光次郎衆議院議長、重宗雄三参議院議長ほか石田礼助国鉄総裁などが奉送し、列車は1分30秒遅れで出発した。復路4月13日も同じ編成で還幸、大きなトラブルはなかったようだ。

この頃、国鉄内部には新幹線用の御料車を作ってはどうかという声があったようだ。しかし年に数回しか使用されないと想定される車両を作るのは不経済ではある。結局、新幹線御料車の話は消えた。

その後、「混乗」は定着しなかった。主体となる団体とのスケジュールが合わせにくかったり、警備が厳しいなどが原因。昭和50年代に入ると、編成を短くすることと再び御召専用とすることが検討され、再び8両編成の御召専用編成が登場した。

歌会始最後の歌は「国鉄」だった

国鉄の車にのりておほちちの
明治のみ世をおもひみにけり

 

昭和63(1988)年歌会始。お題は「車」だった。昭和天皇が詠んだ歌は、前の年の3月末に須崎御用邸から列車で還幸する際、分割・民営化で消える国鉄に祖父明治天皇の時代を思い起こして感慨を詠んだものだという。昭和天皇は会を欠席した。

明治34(1901)年に0歳で日本鉄道に乗車して以来、鉄道院、鉄道省、国鉄と運営主体が変わっても、御召列車は走り続けた。昭和天皇こそ鉄道との縁は長くて深い。そして87歳にして国有鉄道が消滅。明治天皇を思わずとも、感慨ひとしおだったのではと拝察される。この歌が歌会始最後の歌となった。

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