昭和天皇が乗車する列車に衝突した「物体」 「実録」から読み解く御召列車の全貌

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昭和天皇が初めて新幹線に乗車したのは、開業から半年余りの昭和40(1965)年5月7日。鳥取植樹祭行幸のため、新大阪まで乗車した。新幹線に御料車両はないので、1等車を利用した。浜名湖から蒲郡付近まで運転席で、東海道新幹線支社長から説明を聞きながら、前面展望を楽しんだという。お楽しみの様子に、運転士は速度を下げるに下げられず、その先で時間調整に苦労したという微笑ましいエピソードも残っている。

昭和63年3月10日、原宿宮廷ホームでクロ157の窓際に立つ昭和天皇(写真/日本雑誌協会)

昭和天皇ほどこの速度向上を実感できた日本人はいないであろう。大正から昭和初期にかけては、東海道を下るにも静岡や名古屋で1泊するのが普通であった。昭和天皇はそんな時代から列車に乗り続けているのだ。ちなみに昭和天皇は大正期に京都~東京間を通して乗車することがあり、所要時間は13時間10分であった。大正4(1915)年4月22日のことである。

昭和17(1942)年の戦勝祈願列車の東京~京都間は、8時間10分(12月11日)。戦後になってさらに所要時間が短縮されたが、それでも昭和37(1962)年10月19日の原宿~京都間7時間が最短である。

昭和天皇を乗せた新幹線は、東京から新大阪までたった4時間で走った。昭和天皇の脳裏にはどのような思いが走ったのだろうか。この時、歌を2首残している。

四時間にてはや大阪に着きにけり新幹線はすべるがごとし
避け得ずに運転台にあたりたる雀のあとのまどにのこれり

 

雀もまだ新幹線の速さに慣れていなかった。

一般乗客との「混乗」が実現した

大正時代には天皇が一般列車に乗ることもあり、その列車めがけて人々が我先に殺到した、というエピソードがある。戦後は新幹線が走る時代になって、昭和天皇と一般客と同じ列車に乗る「混乗」が実現した。

昭和39(1964)年10月1日、東京~新大阪間に東海道新幹線が開通した。開業式にも臨席した昭和天皇が初めて新幹線に乗車したのは、翌40年5月7日のことだった。この時は供奉車4両、御料車1両、全部で8両編成だった。2度目は41年4月15日で、供奉御料の両数は変わらなかったが、全体は12両編成であった。

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