「GDP」は残念なほど時代遅れな経済指標だ

デジタル化やグローバル化で陳腐化

だが、実際問題としてはあてにならない。国内総生産(Gross Domestic Product)から「ひどく不良な生産(Grossly Defective Product)」に言い換えられてしまう可能性が高まっている。GDPの数字は時とともに更新され、それに合わせ当局も、経済への見方や取り組みを変えていく。

さらに深刻なのは、生産を集計するというGDPの概念が、経済実態をますます反映しにくくなっている点だ。工業化社会の時代に考案された統計であるGDPによって、サービスが主体になっている現在の経済の実態を把握するのは、非常に難しくなってきている。

特に、実際の価値がどこで生み出されているかは、非常に分かりにくくなっている。

GDP統計の上方修正は本来、歓迎すべきことだ。しかし、アイルランドが今夏、2015年の同国GDPの伸び率を7.8%から異例の26.3%へと上方修正したことは不評だった。同国の安い法人税にひかれて大企業が事業の一部をアイルランドに移転させたのを反映したに過ぎないからだ。

同国のファンダメンタルズ(経済の基礎的条件)は、2014年に108%だったGDP比の国家債務残高が79%に減ったことを除けば、まったく変化していない。

また、GDPはデジタル時代にますますついていけなくなっている。フェイスブックのようなインターネット界の巨人はサービスを無償で提供しているが、無料の製品はGDPの集計対象からは除外されるのだ。

旅行を見ても、代理店ではなく無料のネット予約を使う人がますます増えているのだが、こうした予約業者の努力もGDPにはカウントされない。さらに、デジタルの世界では一国ごとに経済活動を区切ること自体が、時代遅れになってしまっている。

問題指摘は半世紀前から

GDPは福祉面を測る指標としても、長く欠陥を抱えて来た。ロバート・ケネディは半世紀前、国民総生産(GDP)が「人生を意味あるものにしてくれるもの」をまったく測ることはできないことは遺憾だとの意を示した。

現在の中国が目標を設定してGDP押し上げにまい進していることは、大気と水質の汚染を招き、中国人の健康と生活の質を著しく低下させている。

もはや、GDPを高尚なものだと捉えるのは、やめるべき時期に来ている。中国は有害な成長目標を放棄すべきだ。投資家や政策決定者も、経済の健康状態を測る上で、より良い新手法を編み出すべきだ。

21世紀の前夜、GDPは20世紀で最も偉大な発明だと祝福された。問題はまさに、そこにある。つまり20世紀の遺物だということなのだ。

 (文中敬称略)
 

著者のポール・ウォレス氏は英エコノミスト誌で欧州経済を担当するエディターを務めた。このコラムは同氏の個人的見解に基づいている。

 

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