JR東海の攻勢をかわした「名鉄」の復活劇 赤字線の廃止と独占路線のテコ入れがカギ

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鉄道線で競合しない路線での利益確保に動いた名鉄は、一方で、不採算部門の整理も大胆に推進していた。

昭和30年代から、私鉄大手各社はこぞって全国展開を進めることで、一大産業へと発展していった。名鉄も例外ではなく、東海・北陸はもとより、東北・北海道にも進出して、多くのグループ会社をつくっていた。その最盛期には250を越えるグループ会社があったという。それが、いまや139にまで減っている。

鉄道事業でみると、2008年12月に福井鉄道、2015年8月には大井川鐵道の経営から撤退している。バス事業でも、2006年1月にニュー東京観光自動車と札幌観光バス、2012年3月には網走バスの経営から撤退するなど、合理化を進めている。なかには、2005年3月の北陸交通解散や、2006年10月おんたけ交通を特別地方公共団体である木曽広域連合に譲渡する例などもある。

名鉄本体でも赤字線に大ナタ

さらに、名鉄本体でも、末端部の不採算路線を次々に廃止している。まずは、電化方式が直流600Vであった、いわゆる600V線区の美濃町線のうち、長良川鉄道と並行している新関駅~美濃駅間を1999年4月1日に廃止。その際、新関駅から長良川鉄道の関駅までわずかながら路線を延ばし、踏切も設置した。

同年10月1日には、1500V線の竹鼻線・江吉良駅~大須駅間、電化廃止区間の八百津線・明智駅~八百津駅間、それに600V線の揖斐線・黒野駅~本揖斐駅間、谷汲線の黒野駅~谷汲駅間を一気に廃止している。同時に、国鉄時代から高山線に乗り入れていた特急「北アルプス号」も廃止され、鵜沼にあった名鉄~JR東海の連絡線が使われなくなった。

2004年4月1日には、三河線のうち電化を廃止してディーゼルカーにより運転していた碧南駅~吉良吉田駅間と猿投駅~西中金駅間を廃止した。これにより、1984年に第三セクターよりも早く導入した、LE-Carにはじまるレールバスを全廃し、営業用車両の全車を電車とした。

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