武蔵が沈んだ「レイテ沖海戦」に何を学ぶか 「現代に通じる教訓」が3つあります
現代の我々が「レイテ沖海戦」から学ぶべき教訓は、次の3つでしょうか。
計画に「楽観論」を持ち込まない
レイテ沖海戦には多くの艦船が投入されましたが、これを援護する航空兵力は、ほぼないに等しい状況でした。
「艦船が多ければ敵航空機と対等に渡り合える」という楽観論が日本側にはありましたが、これは「航空機による攻撃が圧倒的に有利」という連合国側の認識とは真逆でした。
時代を無視した、いわば「古いビジネスモデル」に固執したままの日本海軍の作戦の結末は、計画の段階で明らかだったといえます。
多くの問題を抱えながらも、レイテ沖海戦の作戦は実行され、いくつかの部隊に分かれて、それぞれの計画に沿った行動を開始していました。
しかし、実際の現場にはアクシデントやトラブルがつきものです。必ずしも計画通りに事が進むとは限りません。栗田司令官の「反転」も、いくつかの事実誤認が重なったためともいわれています。
そんなときは、各部隊は互いに連絡を密に取り合い、全体の進捗を常に調整して作戦を遂行する必要があるはずです。しかし、現地の通信状況が極端に悪く、なかでも北方の小沢艦隊が送った「敵の航空機をひきつけた」という通信が栗田艦隊に通じなかったことで「連携」が崩れ、レイテへの突入もチグハグになりました。
結果的に見れば、レイテ沖海戦での決定的なミスは、栗田司令官による「謎の反転」です。
この決断に疑問を抱いた現場の参謀や士官たちは少なからずいたはずですが、「上官の命令は絶対」という風通しの悪さによって、栗田司令官の「反転という決断」を正せないまま、自滅への道を突き進んでいきました。
組織内の秩序も大切ですが、明らかな錯誤や間違いを誰もが指摘できる柔軟性も必要だというのが、「レイテ沖海戦」が我々に教える教訓です。
「史上最大の海戦」、レイテ沖海戦の敗北は、日本海軍の「壊滅」に止まらず、さらなる悲劇へと連鎖します。いわゆる「特攻」はこの海戦と連携して開始され、一定の戦果を上げてしまったことから、この後、「特攻」は全面的に行われ、それは終戦まで続きます。
計画に「楽観論」を持ち込まない、トラブルのときこそ情報共有を徹底する、「上司の間違い」を指摘できる風土をつくる、それらは、どれも現代のビジネスパーソンが仕事をするうえでも有効な教訓ばかりです。
日本史を知ることは、「自分以外の人生」を生きることでもあり、「自分の人生では学べないこと」を知ることでもあります。ぜひ、夏休み、日本史を学び直すことで、「生きる知恵」を身につけてください。
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