武蔵が沈んだ「レイテ沖海戦」に何を学ぶか 「現代に通じる教訓」が3つあります

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今回も、よく聞かれる質問に答える形で、解説しましょう。

そもそも「レイテ沖海戦」って何?

Q1. そもそも、レイテ沖海戦って何ですか?

太平洋戦争(1941~1945年)の末期、フィリピン中央部のレイテ島の近海で繰り広げられた、日本海軍とアメリカ海軍を中心とする連合国軍との戦いです。

双方とも膨大な艦船を投入して、1944年10月23日から26日までの4日間にわたり、連日激しい戦闘が行われたことから、「世界史上最大の海戦」とも言われています。

Q2.  「戦艦武蔵」が沈んだのは、この戦いですよね?

そうです。「戦艦武蔵」(三菱長崎造船所建造)は、当時世界最大といわれた「戦艦大和」(呉海軍工廠建造)の同型艦(公試排水量6万9100トン、全長263メートル)です。その高度な防御構造から「不沈艦(ふちんかん)」と呼ばれていました。

しかし、連合国軍の航空機による激しい攻撃にさらされ、1944年10月24日19時35分、フィリピンのシブヤン海に沈没しました。

ちなみに、この作戦には「戦艦大和」も参戦しています。

Q3. 「戦艦大和」も参戦したのですか? どんな活躍をしましたか?

46センチメートルの主砲3連装3基、計9門という強力な火砲を持つ「戦艦大和」には、大きな期待が寄せられていました。

しかし、戦争の主役は航空機へと移り変わっており、「戦艦大和」のような巨大戦艦はもはや「時代遅れの産物」に。この戦いにおいても「戦艦大和」は敵航空機からの攻撃に終始さらされ、敵船を1隻も沈めることなく、本来の実力を発揮できませんでした。

Q4. 日本軍の「作戦の狙い」はどこにあったのですか?

最終的な目的は、「連合軍によるレイテ島(フィリピン)の上陸を阻止する」ことでした。その一環として、レイテ湾に集結した大小700余隻といわれる敵上陸部隊の船団を、海軍の艦船が撃滅するというのが作戦の狙いでした。

連合軍の大艦隊は日本海軍の総力を上回っており、作戦の遂行は容易ではありませんでした。

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