会社の主な取引先は北海道内の自治体や公共団体で、請け負った仕事の一部を中国など海外の安価な業者に外注していたのだが、海外発注分の製品の質が悪すぎると、取引先からクレームを受けたのだ。かといって、自治体側が契約金額を上乗せしてくれるわけではない。公的な組織からの仕事なら、安定していて一定以上の収益が保障されると思われがちだが、地方分権や地方再生とは名ばかりの国の政策の下、多くの自治体は財政難にあえいでおり、今や下請け業者の足元を見て買いたたくのは、民間企業よりも、都道府県や市町村といった地方自治体のほうだとも言われる。
結局、詰め腹を切らされたのは現場の働き手であるヒロシさんたちだった。海外業者に任せていた仕事の負担が一気に彼らにのしかかることになり、これにより、毎月の残業時間が120~130時間に急増したのだ。今年に入ってからは2週間近く連続で出勤したこともあったし、風邪で38度の熱が出たときも出勤するよう命じられた。昼休憩も15分ほどしか取れず、トイレに行くのもはばかられる空気の中、相変わらず、残業代だけは払われなかったという。
「毎日、身体がだるくて、仕事中も眠くて仕方ありませんでした」
日付が変わった深夜に帰宅して、早出残業をこなすため7時半に出勤する日々が半年近く続くと、次第に「過労死」という言葉が頭をよぎるようになってきた。
社長から要求されたのは「命より納期」
真夏の札幌で会ったヒロシさんは紺色のスーツ姿で現れた。聞けば、就職活動の真っただ中だという。印刷会社は6月いっぱいで辞めた。
口数の少ないヒロシさんが、辞めた理由をぽつりぽつりと話してくれた。
過労死寸前の状態で働いていたあるとき、社長からこう言われたのだという。
「何時までかかってもいいから。とにかく納期に間に合わせるように」
この10年間、辞めたいと思ったことは何度もあった。しかし、同僚や後輩が1年もたずに辞めていく中、ヒロシさんだけは踏みとどまってきた。その理由を「負けず嫌いなところがあるから」だと説明するが、一方で「今、教えている新人が独り立ちしたら辞めよう」と決めていたのに、その新人に先に辞められてしまい、このままでは会社に迷惑がかかると逡巡しているうちに機会を逸したこともあったというから、責任感の強いところもあるのだろう。
なんだかんだと言って、会社で過ごす時間が自分のすべてだったし、特にこの半年間は命を削る思いで働いてきたのに、かけられたのは「命より納期」と言わんばかりの言葉だった。このときに、自分の中の何かが吹っ切れたのだという。
もうひとつのきっかけは、新聞で連絡先を知った労働組合「さっぽろ青年ユニオン」に相談をしたことだった。会社のやることなすことが違法であることがわかったとき、つきものが落ちたような気持ちになった。
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