「努力が空回りしている人」の残念すぎる思考 「手段」と「目的」が入れ替わっていませんか
Tさんにとって「人脈をつくる」という手段の目的は「仕事の幅を広げる」ということだったはずですが、いつしか名刺交換やFacebookでの交流によって、たくさんの人と知り合うことが目的になっています。これだといくらやっても、結果には結び付きません。
この「手段と目的の混同」は、努力家ほど陥りやすいワナ。頑張るほどにある種の達成感を味わうことができ、それがさらなる努力の原動力となっていくからなのですが、こうなると、当初の目的はどこへやら。すっかり目の前のことに集中してしまい、自分が何を目指していたのかを振り返ることなどできなくなるほど、没頭してしまいます。
「企画倒れ王」の真実
大手化粧品メーカーで販促プロモーションを担当するYさんは学生時代から成績がよく、真面目にコツコツやるタイプ。社会人になってからもその努力家ぶりは変わりませんでした。企画会議に向けて、ライバル社のデパートの売り場をくまなくチェックし、海外メーカーの動向にも目を光らせ、YouTubeで各メーカーのCMを調査して分析する――。
企画を練り、資料を作成していく中でも、もちろん手抜きはなし。グラフの配色やレイアウトに凝り、アニメーションを入れ、ぐっと人を惹きつけるコピーを散りばめます。こうして、海外のトッププレゼンターに負けないような30ページ以上もの大作に仕上げていました。
しかし、試験範囲や正解の決まっているテストとは違い、仕事というのは非常に曖昧で、どこまでやればいいというラインはありません。Yさんはこう振り返ります。
「商品を売ることよりも、企画を通すことしか考えていませんでした。本末転倒ですが、企画が通ったときにはすでに燃え尽きてしまって、プロモーション自体はやっつけ仕事。そんなことで販売実績が上がるほど、この業界は甘くありません。いつしか、『企画倒れ王』と上司からイヤミをいわれるようになっていました」
もちろん、企画書を練ることは大事ですし、プレゼン資料づくりに力を注ぐのも間違ってはいません。ただ、時間が無限にあるならいいが、割けるリソースは限られています。そもそも、企画会議をトップで通過する必要はなく、ゴーサインだけもらえればいいのです。
大切なのはいちばんの企画書を作ることではなく、企画を実現し収益を上げることなのにもかかわらず、企画書に全力を出し尽くしたYさんは、いつも企画が通った途端、気が抜けてしまうのだそうです。完璧を目指す余りに、力の入れどころを誤ってしまったワケです。
真面目な人ほど完璧主義に陥りやすく、目の前の課題につい没頭してしまう。もちろん、それ自体は悪くありませんが、完璧を目指しすぎると視野が狭くなり、大きな目的を見失ってしまうことにつながりかねません。
これらの人たちは、「やりすぎるからストレスがたまる」と思っているかもしれませんが、実際には「ストレスがたまっているからやりすぎて」しまっています。
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