ニース事件は過激派と無縁の大量殺人だった 現地ルポ、革命記念日に起きた惨事の真相
テロの大惨事の現場となった海岸沿いの「プロムナード・デ・ザングレ」の東端の一角は、事件後、多くの花束やロウソク、ぬいぐるみなどが捧げられ、夕暮になると数百人もの市民が集う追悼の場となっている。現場は事件から2日後には通行止めも解除され、家族連れやカップルなど多くの観光客が遊歩道を歩く姿が見られる。
2015年1月以降、3回目の大規模テロ
フランスを襲った大規模テロは、2015年1月のシャルリー・エブド襲撃事件以来、18カ月間で3回目。同年11月には同時多発テロで130人が犠牲になった。今回のテロは、同時多発テロから8カ月が経ち、オランド大統領が非常事態宣言を解除した直後に起きた惨事であり、また、革命記念日というフランスの建国理念を祝う場であるとともに、フランスの愛国心が高揚するイベントでの悲劇となった。
「フランスを記念する行事だったからこそこそ狙われたのだ」とニース市内のタクシー運転手男性は言う。「(ニースで6月に開催された)ユーロ2016のサッカー大会とは違って、花火大会では警察の警戒は少なかった。花火大会はそもそも人々が自由に来られるはずのものだし、フランスが大切にしている自由を祝う行事でもある」。けれども、ニースで生まれ育った女性はこう嘆いた。「(フランスの建国理念である)“自由、平等、友愛”はもう信じられなくなってしまった。このような凶悪なモンスターのようなテロによってそのような理想は、もはや見られない」
地元メディアによると、ラフエジブフレル容疑者はチュニジア出身で、2005年にフランスに来た。事件当時は配達の運転手として働いていた。妻とは別居しており、この妻との間に3人の子どもがいる。同容疑者には犯罪暦はあるものの、過激派のリストに名前はなく、仏情報機関も容疑者の出身国のチュニジア当局も、容疑者を危険人物として監視対象にしていなかった。
ロイター通信によると、容疑者はチュニジアから渡仏する前、精神面の治療を数年間受けていた。過激派組織「イスラム国」(IS)は事実上の犯行声明を出したが、具体的な関係は分かっていない。ただ、同容疑者は「極めて短期間に過激化した」と報じられている。
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