次にEU予算は第2位の拠出国を失い、影響は避けられない。2016年の数字で、イギリスは194億ユーロを拠出し、70億ユーロほどを受け取ることになっている。とすると、純拠出額は124億ユーロだ。EU総予算(支払いベース)は約1440億ユーロだから、概数で17兆円のうちの1.5兆円(約9%)の穴があく。ドイツのIFO研究所は、そのうちの25億ユーロ(3000億円)ほどをドイツが担うことになると計算している。
社会的にも、EUは影響を受ける。2015年末の数字で、約120万人の東欧移民をはじめ、約300万人のEU市民がイギリスに住んでいる。最多はポーランドで約85万人、ルーマニアから17.5万人、リトアニアから15.5万人ほどとなっている(他方、EU在住のイギリス人も120万ほどいる)。これらの人々の法的地位、母国への送金(額)、他のEU諸国に迂回する移民(数)などの行方によっては、影響を受けるEU加盟国が出てこよう。
さらに、外交・軍事についていえば、EU共通外交安全保障政策においてイギリスがもつ存在感は加盟国の中で頭一つ抜けていた。つねに先頭に立ち積極的に主導したわけでなくとも、「EU戦闘群(battlegroups)」の展開、「アテネ・メカニズム」に基づくボスニアやソマリアでの作戦、その他テロ・薬物対策や対外諜報・内務情報などでも、それなりに頼れる存在であった。
旧帝国時代からのネットワークやアメリカとの「特別な関係」が、EU諸国にとって必ずや資するものだったとは言えないが、同国が培ったそうした外交資源や経験は、目に見えない財産でもあった。それは、世界的に物事を考え、自由で開放的な経済を維持するという気質をもEUに対してもたらし、NATOなどとの橋渡しをよりスムーズなものにしてもいた。これらのプラス面は、イギリスがEU加盟国でなくなることで目減りし、EUを変質させていく可能性がある。
EUは「ドイツ色」に染まるのか?
これとは別に、イギリスがEUから離れると、ドイツの覇権が強まると多くが言う。一面ではその通りであるが、おそらくそれだけでは、現状をつかみきれない。
まず、ドイツ支配の強化について。欧州統合史を紐解くと、そもそもド・ゴール大統領の下、1960年代に2度もイギリス加盟をブロックしたフランスが、跡を襲ったポンピドゥー大統領の時代にそれに向け積極姿勢に転じた背景には、西ドイツ・ブラント政権が「鉄のカーテン」を超えて東方外交に乗り出したことへの対抗があった。
つまり、フランスが一方的外交を始めた西ドイツを前にイギリスを利用しようとしたわけで、1973年のイギリス加盟(当時はEC)は、大陸の勢力均衡のなせる業でもあったのである。
今回の文脈で重要なのは、その重石としてのイギリスが離脱を決め、しかもそのタイミングがドイツの興隆期と重なっている点である。
周知のように、ドイツ経済は好調で、経常収支、失業率、産業競争力などの指標で群を抜いている。イギリスなき後、ドイツの向こうを張れる唯一の国であるはずのフランスは、比較相対的に低成長、高失業に悩み、停滞している(その点ではイタリアも同様)。
のみならず、フランス社会党出身のオランド大統領は国内政治基盤が脆弱で、極右の国民戦線(FN)が反EU姿勢を鮮明にするなかで国論は割れ、相対的に安定しているメルケル首相下のドイツと好対照をなしている。もともとオランド氏は、ドイツ主導の緊縮財政を打破するという選挙公約のうえで選出されたのだが、それを守れず、同じ志を持つイタリアのレンツィ首相と組んでも、オランダやフィンランドと連携するドイツ主導の態勢を崩せずにいる。
ウクライナ問題の解決に向けたシャトル外交でも、結局は主導するメルケル首相についていくのが精いっぱいだった。2016年に起きたパリ同時多発テロの後、シリアへの空爆を実施した際には一時的にオランド大統領の支持率が上がり、難民危機で揺れたドイツでメルケル首相の権力基盤が緩んだ時期があった。だが、それぞれの問題が落ち着くにしたがい、元のさやに納まってしまった。
非力なフランスが、単独で構造的に優位にあるドイツに対抗するのは当面は困難だろう。他の諸国を頼みにしようにも、ドイツを支持する国もあり、オランド大統領が対ドイツ連合を主導できるわけもなく、かつて頼みにしたイギリスはすでにもうそこにいない。せいぜい彼にできるのは、なるべくメルケル首相のそばに立ち、欧州の権力中枢に位置してみせるだけである。
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