一方、社会に対して責任を持たない会社、自分のところだけ儲けたらそれでいいという会社は、社会に害を流す。そのような会社が発展するはずがない。
「小さいながら、わが商売というものは公のものである。法律上は私的なものであるかもしれないが、その本質というものは、公のものである、ということに気がついた。それは商売を始めて十四年ほどしてからやった。
それまでは平凡な勉強家にすぎなかったと思うんや。けれどもそう気がついたときに、そこにひとつの使命感が起こって、この使命に殉ずるのが自分の生きる道だということで、仕事をしてきた。それが非常に力強いひとつの姿になったんやろうな」
賢い人はかえって危ない
少し抽象的な話になったが、あるとき松下は、次のような興味深い話をしてくれたことがある。
「賢い人はかえって危ないんやな。平凡な人に仕事をまかせると、あまり成功もせんが、つぶしもせんで平凡に時を過ごしていく。けど、賢い人は会社を興(おこ)すが、また同時に会社を潰すんやな。
支配人を決定するとき、あんまり賢い人であったら、うまくやってくれるだろうという期待が持てるかわりに、潰しよるという点も併せて考えておかんといかんな。賢いから安心ではない。賢い人は自分で独断専行をやるから、危険なんやな」
さて松下によれば、会社を興す賢い人も、会社を潰す賢い人も、紙一重の差であるという。それで一方が興し、一方が潰す。
たくさんの人にまかせてきた経験を振り返ってみると、その同じ賢い人で、成功する人と失敗する人はどこがちがったのか。煎じつめていくと、失敗する人には「私心」というものがある。成功する人には私心というものがない。公の心があった、というのである。賢さは一緒である。しかしちょっと自分の私心が入ると、非常に差が出てくる。
また松下自身、すっきりと決断できず、なぜこのように迷うのか、というとき、自問自答を重ねていくと、自分を中心に考えている場合に心が迷いに迷って、なかなか決められなかったという。だからそのような場合には、自分というものを考えから抜いて、公の心で素直に全体の立場に立って考えなおしたそうである。これは人間というものの妙味を考えさせる、非常に面白いエピソードではないだろうか。
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