「何も予定がない」ことを恐れてはいけない 会社経営者とサラリーマンの根本的な違い

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いずれにしても、予定を入れることが目的化しているかのような行動は、現場、あるいは本来やるべき仕事からの逃避、という側面が間違いなくあります。

当然ながら、小さな会社ではそんな逃避をしているヒマはありません。特に一人でやっているような場合は、外注するにしても自分のところである程度のことをしないと、受注金額のうちの自分の取り分が残りません。自ら手を動かす部分があるからこその対価、という側面が間違いなくあります。

仕事は割り込みの連続

会議だ打ち合わせだ何だかんだ、と言われるままに外に出て貴重な時間を消費していては、何も進まないのです。もちろん、プライオリティを判断した上でどうしても行かなければならない、行くべきであるというときには出向きます。また、営業活動に注力しなければならない時期もあるでしょう。

そういう時は、“自分の意思で”予定を入れるわけです。これは「飲み会」についても同じことが言えると思います。

そうでなくても、仕事は複数あるのが普通で、しかも割り込みの連続なわけです。クライアントからの相談事に対応したり、見積もりを作ったり、提案書を書いたり、などが日々発生します。手帳が白いからこそ、それらの事象に対応することができるのです。

予定があるということは、時間を割いてリアルにそこに行っているということです。その間は何もできません。

一方で手帳が白いときは、インターネットにはアクセスしつつも、そのときにやるべきことをしています(あるいは遊んでいるのかもしれませんが)。とにかく自分の時間を確保しているということになります。もっとも、その時間をどう使うか、というのはまた別の重要な問題として存在します。

お金になることをするための作業時間を確保し、先々のための布石を打ちつつ、外注先からの納品物をチェックし品質を担保してクライアントに納品し、朝は早く起きて毎日休まず働いているけれど、手帳はけっこう白い、というのは実は悪くない状況のひとつの姿です。

「会議や打ち合わせなどの予定がない」という状況と「仕事がない」という状況は、まったくの別モノである(後者は望ましくないですが)、ということを認識すべきなのです。

本稿はポスト資本主義時代の起業術を伝えるメディア『42/54』の提供記事です。

(文:田邊 俊雅)

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