この国は、もう子どもを育てる気がないのか 日本は「想像力が欠落した国」になっていた
平田:住宅問題については、日本でもやれることはたくさんあるんですよね。地方であれば、空いている公営住宅もたくさんあるから、改装しておしゃれにするとか。あとは、東京をはじめとする都市部は家賃が何しろ高いから、公的な補助も必要でしょう。
藤田:私は、医療や介護のみならず、住まいや教育といった、人間にとっての「ベーシックニーズ」と呼ばれるものは市場原理に任せてはいけないと思います。
「文化資本」の格差が日本を分断する
平田:教育に対する社会保障も、日本ではほとんど手が付けられていませんね。
藤田:ええ。2012年度の調査によると、大学生のうち、半数を超える52.5%もの学生が奨学金を利用しています。今の学生の半分は、借金を背負った状態で社会に出なければならないのです。また、親からの仕送り額も減っていて、1990年には12万円ほどあったのに、2000年代に入ってからは10万円を切る水準まで下がりました。
こうなると、学生たちは遊ぶためではなく、生活のために長時間のアルバイトをせざるをえません。なかには、アルバイトのために授業やテストを欠席せざるをえないという本末転倒な事態も起こっている。経済的に豊かな親の子はじっくり勉強できるけれど、そうでない子は教育を受ける時間を奪われてしまうんです。
平田:私は全国の大学や高校で演劇のクラスを持っているので、「教育格差」の問題は肌身に感じています。とりわけ懸念しているのは、2020年度から実施予定の「大学入試改革」によって、教育格差がますます広がるだろうということです。
『下り坂をそろそろと下る』でも触れましたが、入試改革の骨子は、従来のように詰め込み型の知識をテストするだけでなく、集団でディスカッションさせるとか、グループで芝居を作らせるなど、プレゼンテーション能力やコミュニケーション能力を問う試験を課すというものです。グローバル化した社会ではいずれの能力も求められますから、この方向性じたいは間違ってはいません。ただ、そうした試験制度になると、都市部の子ほど有利になります。わかりやすい数字をあげると、演劇を学べる高校は3年前の数字で50校ほどありますが、そのうち8割を東京、神奈川、大阪、兵庫の都市部が占めています。
藤田:地方の子は演劇を学びたくても地元では学べないわけですね。
平田:私は美術や演劇、音楽などの素養を「文化資本」と呼んでいますが、都市部の子は幼いころからそうしたものに触れる機会が多い。しかし地方だと、そもそも美術館の数も少ないし、お芝居やコンサートが開かれることも少ない。だから能力が高くて勉強ができる子であっても、地方に住んでいると文化資本を高めることができない。