JR東西の競争意識が「豪華列車」を進化させた 御料車からクルーズトレインまでを振り返る
昭和33(1958)年、寝台特急「あさかぜ」用として颯爽と登場したのが、“走るホテル”といわれた20系客車である。ブルーの車体から「ブルートレイン」の呼び名のもとにもなり、A寝台、B寝台、座席客車、食堂車を備えた冷暖房完備の固定編成客車は、当時としては非常に画期的だった。
この「あさかぜ」の登場以降、九州方面に向かう寝台特急「さくら」「富士」「みずほ」「はやぶさ」などのブルートレインが続々登場。昭和50年代にはスーパーカーブームと共に「ブルトレブーム」が起こり、「少年撮り鉄」のあこがれの列車となって、ブルートレインは不動の人気列車になったのである。
ブルトレに使用される客車も、個室化やシャワー完備とグレードアップが進んだ。しかし、全国的に新幹線網や航空路線が整備されると長距離夜行列車は次々と廃止の運命をたどってゆくようになり、ブルートレインはいつしか食堂車も消え、豪華列車とは言えない列車になり果ててしまった。
オリエント急行が刺激に
日本で本格的な豪華列車が走るきっかけを作ったのは、昭和63(1988)年にフジテレビと当時発足したばかりのJR東日本が共同で日本国内を走らせた、豪華列車の代名詞「オリエント急行」であろう。
ヨーロッパからはるばるシベリアを経て来日し、これらの国々と線路の幅が異なる日本国内の運転用に台車を交換するなどさまざまな工夫を重ねて、北海道から九州までを走行した。
この「オリエント急行」来日の企画段階で「日本にもオリエント急行に負けない豪華列車を・・・」という機運が高まった。世はまさにバブル全盛を謳歌していた時代であった。
JR東日本では昭和63(1988)年春の青函トンネル開業に合わせて上野-札幌を結ぶ寝台特急「北斗星」の運行を決定、発足したばかりのJRのシンボル的な列車となった。車内にはシャワー・トイレ付きで豪華な設備を誇るロイヤルA個室をはじめ、ロビーカー、シャワー室などさまざまな設備を備え、オリエント急行を意識した食堂車では完全予約制のフランス料理のコースを提供した。走り始めた当初はきっぷが手に入らない「プラチナ列車」として話題になり、一日3往復もの「北斗星」が運行された。
一方のJR西日本では、やはりオリエント急行を参考にした豪華寝台特急「トワイライトエクスプレス」を大阪-札幌間に日本海縦貫線経由で運転開始した。この列車は「北斗星」の定期列車とは異なる季節運転のダイヤで、いわゆる本格的なクルージング列車として運転された。
車内設備もA寝台個室や食堂車、豪華サロンカーなどのほかに初の展望客室「スイート」を連結。食堂車の料理も当時は大阪の一流ホテルシェフの監修によるもので、この列車が文字通り日本一の長距離列車と豪華さを誇るものとなった。
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