森トラスト章社長、後継に末娘を選んだ裏側 40代の伊達美和子氏、「港区の大家」を舵取り

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――森社長自身の経験で、いちばん厳しかったのはいつですか。

森ビルの時代では、50年前のオリンピックの後がピンチだった。それから、石油ショック。森トラストの時代で厳しかったのは、前身の森ビル開発の社長になったとたんですね。1993年に引き継いだ頃は、環境としては最悪でした。その年度の決算は、借金も多いし、グループ内に森ビル観光がなかったら厳しかった。

――バブル崩壊後の当時、なぜ森ビル観光のリゾート施設の業績はよかったのですか。

普通と逆で、不景気になると売れる商品だったから。それまで、保養所、研修所、体育施設みたいなものを企業が持っていたでしょう。それではカネがかかるから、森ビル観光(ラフォーレ倶楽部)の法人会員になったほうが遙かに合理的なわけ。だから、事業の多様性は大事なのです。

――森ビル時代はブレーキ役を担いましたが、森トラストでは非常に積極的だった印象があります。

森家はみんな積極的ですから、私ももともとは積極的なのです。森ビル時代にも森ビル観光を作ったけれども、森トラストの社長になってからも、一応積極的でした(笑)

――森社長が今後会長になった際の役割をどう考えますか。

私が代表取締役会長をやるのは、新社長が総務系業務に慣れて、社会的に認知される程度になるまでです。そうすれば会長として補佐する必要はない。

森ビルとは場合によっては一緒にやってもいい

――以前『週刊東洋経済』で、「私の時代ではなく次世代の経営者次第だが、お互いに事業提携する可能性もあろう」と述べていました。

いまもう、虎ノ門パストラル跡地再開発の都市計画上、伊達専務が交渉役となって実際にやっています。われわれも森ビルも、虎ノ門など港区の案件が多いから、重なることが多い。隣同士一緒にやった方がよけりゃやるってこと。会社としてとか、そういうことは意識はしていません。株の持ち合いも1999年で解消しています。当社はわずかに持っていますが、逆はありません。

――これまで、森社長は未上場と同族経営の利点を強調してきました。森ビルは辻社長になり同族経営ではなくなりましたが、これからも森トラストは同族、未上場をつづけますか。

わからない。それは次の社長が決める。

――そこも、もう任せるということですか?

うん。実質的にほとんどの株(親会社である森トラスト・ホールディングス株の66%)を持っていますから。たとえば・・・、上場するかもしれません。それは娘の考える話。私の考える話ではない。

茨木 裕 東洋経済 記者

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いばらき ゆたか / Yutaka Ibaraki

1975年生まれ。「週刊東洋経済」編集部所属

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