JR東海が「不通路線」を復旧した本当の理由 6年半の歳月経て名松線が運転再開
運行再開を迎えた3月26日、伊勢奥津駅は、再開を祝う沿線住民であふれかえった。初日の利用者は2140人。北海道新幹線の開業初日の利用者数1万4200人と比べても大健闘の数字だ。翌27日は1300人、3日目の28日も300人が利用した。ただ、被災前に1日90人しかいなかった利用者は、代行バス運行期間中にさらに減ってしまった。今後、被災前の利用者数をどこまで上回ることができるかが、大きな課題となる。「被災前よりも多くの人に乗っていただいて、地域に活気が出て、ようやく復旧してよかったと言える」と、JR東海の柘植康英社長は語る。
利用者増に向けた取り組みの一つが、観光客の呼びこみである。5月には伊勢志摩サミットが開催される。三重県の魅力を世界中にアピールする絶好の機会だ。風光明媚な名松線沿線にも観光客を呼び込みたい。市は沿線にパークアンドライドを2箇所設置し、無料のレンタサイクルも設置した。
名松線の復活に学べ
「名松線は乗ることを目的とした列車になってほしい」と、前葉市長は期待する。「乗ることを目的とした列車」とは、全国で最近増えている観光列車を指す。JR東海にはそのような観光列車を作る計画はない。が、他社事例を見ていくと、JR西日本が地元自治体の資金援助を受けて、観光列車「みすゞ潮彩」号を走らせた実績もある。「もし実現しそうなら、予算はかき集める」(市の担当者)。ひょっとしたら将来、名松線にも、観光列車が走る日が来るかもしれない。
現在、JR北海道の赤字路線を中心に、全国で廃止が取りざたされている路線は少なくない。だが、「鉄路を残せ」という掛け声だけでは、何も進まない。名松線が運転再開にこぎつけた本当の理由は、県や市、そしてJR東海が多額の資金負担を辞さなかったからだ。どうすれば、自治体やJRに重い腰を上げさせることができるか。これこそが鉄路維持の原動力となる。
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