成田と羽田をつなぐ「都心直結線」は必要か 国は前向きだが都は消極的、揺れる整備計画
そんな成田空港のアクセス改善策として、冒頭の都心直結線構想は浮上してきた。押上駅~新東京駅~泉岳寺駅11kmの大深度地下に新線を敷設するプランだ。新東京駅の設置場所は、東京駅の西側200m、丸の内仲通りの地下を想定している。JR東京駅丸の内口と地下鉄千代田線二重橋駅の中間地点にあたる、地下鉄大手町駅とも隣接する場所だ。
この都心直結線が開業すれば、新東京駅から羽田空港へ18分、成田空港へは36分で結ばれる。2023年頃の完成目標とされ、年間利用者は8000万人、うち空港利用者は1000万人を見込んでいる。建設費は4000億円超。民間から資金を集めインフラを整備するPFI方式を活用する計画だ。国交省はすでに2013年から調査費を計上し、地質調査も始めている。
日本初の大深度地下鉄で用地買収の必要はなく、工期は短く、建設費も安く抑えられる。整備によって生み出される便益は1兆円を超えるという。成田と羽田、両空港がバランス良く発展していくには欠かせない。「国や東京の成長戦略にとって不可欠な鉄道だ」。飛び交う言葉は威勢がいい。
羽田国際化の「条件」として浮上
ちなみに、都心直結線構想のきっかけをつくったのは、石原慎太郎元都知事だった。石原は「羽田空港での国際線就航」を公約に掲げて1999年に当選した後、政府与党への働きかけを強めた。
これに難色を示したのが、旧運輸省と千葉県だ。1960年代以降、過激な反対運動に振り回され大変な思いをして成田空港の開港にこぎつけた。地元としても「成田は国際線、羽田は国内線」との役割分担を前提として成田開港を受け入れた。もし、国際線の羽田空港発着が進めば、都内からのアクセスが悪い成田空港は相対的に地盤沈下しかねない。
それゆえの千葉県の反発であったが、2001年、堂本暁子前千葉県知事が羽田国際化を容認する発言をしたことで、日本の航空行政は大きく転換することになった。
国交省は、羽田国際化を認める条件として、「首都圏の空港アクセス緊急改善対策」をまとめ、成田活性化には都内とのアクセス強化が不可欠だとの考えで、2つの鉄道新線構想を示した。
1つは、印旛日本医大駅と成田空港駅を結ぶ、京成電鉄成田スカイアクセス線である。重点的に予算配分されて、2010年に開業する。羽田空港で本格的な国際線の就航が始まった直後のことだ。
もう1つが、都営浅草線の東京駅乗り入れ構想である。当初は、日本橋~東京駅~宝町間に新線を敷設し、東京駅近くに行き止まりのホームを新設し、成田・押上方面と羽田・泉岳寺方面からスイッチバックで乗り入れるプランだった。
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