【前田新造氏・講演】“人”が創る企業力−組織を活かすリーダーシップ−(前編)

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 国内で事業を拡大する一方、海外進出も進めて参りました。昭和32年に台湾資生堂を設立し、翌年4月に製造を開始しました。当時化粧品の輸入が認められていなかったために現地製造でのスタートになりました。この台湾進出を足掛かりにアジア各国への展開を進めていくことになります。また欧米諸国への進出は1965年にアメリカ、3年後の1968年にイタリアに現地法人を設立し、1980年には化粧品の本場フランスに進出します。イメージ・クリエーター、セルジュ・ルタンス氏の起用を通じて当社の製品は化粧の文化性を東洋の美と織り交ぜながら新たな価値として欧米各国へメッセージをし続けてまいりました。

 しかし1980年代に入り圧倒的な売り上げを占める日本での売り上げが伸び悩みはじめます。チェインストアという強固な販売網と、再販制度という独禁法による価格保持という2つの点から売り上げを伸ばしてきたビジネス・モデルは、その強固さゆえにそれに縛られ、1970年代後半から顕著になるGMSチャネル、その後のコンビニエンスストア、あるいはドラッグストアといった新しい流通チャネルへの対応が後手に回りました。また、1997年に再販制度が全廃となりましたが、これら時代の変化に対して対応し切れず、売り上げ目標の未達成が常態化する中、いずれ何とかなる、誰かがやってくれるといった他律的な空気が社内に蔓延するだけでなく、売り上げを新製品、あるいは新ブランドの乱発などでしのぐしか手立てがなく、次々と生み出される新製品の中で社員は心身ともに疲弊しておりました。こうした状況の打開に向けて2005年から始まる3カ年計画の策定に経営企画部長として取り組んでいた私は、そのスタートと時を同じくして経営の舵取りを任されることになりました。これからは社長就任以後、足かけ3年にわたる改革の足取りをお話してまいります。

▲「TAIWAN INDUSTRIAL PRESS」に掲載された貴重な広告写真。
昭和32年の台湾資生堂設立を機にアジア各国へ進出。西洋の科学的な医療と東洋的な精神を融合した和魂洋才の理念とともに、資生堂は1965年にアメリカ、1968年にイタリア、1980年にフランスと欧米諸国への進出を果たしてきた。
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